2025-02-11
情報収集の場が一か所にまとまりすぎているんだよな
そういう偏りが個性を生むのかもしれないが
結局個人が回れる場には限りがある
しかし、もうちょっと広く浅く拾い読みして取っ掛かりを作ったうえで、興味をひくものだけを読むというスタイルがよさそうなんだよな
エコーチェンバーを防げるかもしれない
例えば
cosenseに留まりすぎている
cosenseをwatchしていれば知れるような情報は、cosense界隈の人間に利益をもたらさない
アウトサイドからの情報提供をしない人はフリーライダーになってしまう
知らないことを知る
雑誌や本は知らないこと・今までは興味がなかったけど良いと思うものに触れられる有益さがある
目的地までダイレクトに行ける良さとは方向性が違う
なんとなくよさげなものが集まっているというよさ
cosenseもこのよさある
自分が知りたいことを自分でまとめる
人間の熱意によってまとめられたコンテンツは今でも面白い
他者の利益になる
多くの人はめんどくさがって読みやすく加工された形にある情報を好む
論文を読むのをめんどくさがるので論文のサマリを動画にしたyoutuberを見る
そういう情報の生産者側だと誰かに貢献できるため結果的にその人にアテンションが集まる
まず頭が悪すぎる
もっと勉強するべき
漠然とした頭の悪さというよりも、知識の浅さ、どれくらい浅いのか、というのが見えてきた
自己卑下ではない
どこがダメか
自信満々な発言を信じてしまいがち
自分で検証するというコストに不快感を感じる
他人の欲望や思考の模倣を無意識にやってしまう
日本語が下手
文章が書けない
数学ができない
あと何年くらい勉強したら、私が尊敬するような人たちと対等に会話ができるようになるだろうか?
というか、あとどれくらいの時間でそうなるつもりなのか?
来年までに何をどれくらい、というのをあとで考えるか
個人メモに譲歩などのクッション表現は不要なので、それを他人が見たときにトゲトゲしてるなあと思うことはあるかもしれない
文脈の補足も、自分でわかるなら付けない
自分が思ったことではなくて、自分に言い聞かせたいことを書くことがあり、それはどこからか持ってきたものであるため剽窃みたいになる
これは良くない
しかし個人的なメモ書きとしてはおかしくないことだと思っていて、だからpublicに置かなければ問題にはならない
でもこれを繰り返していると自他の主張の境界が曖昧になりそうだな
自分自身の考えを構築するのはそれなりにコストがかかるため、普通に生活していて「自分が思ったこと」が自然発生することは実はあまりないのではないか
感想を抱くのも難しい
感想を書けと言われて始めて考え始めることもある
インプットに対して連想したものを口走ることと、適切な論証をすることは別、本当にその通りだ
既存の知識や連想に基づいて発言することと、新しい問いに対して論理的に筋道を立てて答えを導くことは別の能力
ある問いに対して、過去の議論や答えを思い出し、それに関連づけることはできても、その問い自体に対する論理的な解答を構築できるとは限らない
新たな問題を解決するには後者の力が必要
自分はこれが苦手
ここに自分を大きく見せたいという欲が加わると、誰かの気の利いた発言をパクろう、みたいになる
実際にそのような結論を導けるだけの論証の能力はない