非経験学習
経験がコモディティ化されていれば経験するのは安く学習できる。しかし経験が稀少な場合、経験に頼っていては学習できない。
チェスのマスターや消防士と同じく、近代化以前の村人たちは、明日も昨日と変わらないことを前提に暮らしていた。彼らは以前に経験したことに関しては非常によく対応できたが、それ以外のことに関してはほとんど無防備だった。村人の思考は非常に専門特化されていて、その専門特化の仕方は、現代世界ではどんどん時代遅れになっている。村人は経験から習得する能力はとても高かったが、経験がないと学ぶことはなかった。
この「経験なしで学ぶ」こと、言い換えると、新しいアイデア同士を結びつけ、領域を超えて考えることができる概念的な論理能力が、急速に変化する「意地悪な」世界で求められている。辺境の村人は、直接経験したことのない問題を前にすると、全く手も足も出なかった。私たちはそれでは済まされない。これからは、一つの問題や領域の概念的な知識を、全く別の問題や領域に適用できるような人が、大きな見返りを手にするようになるだろう。