阿波研造
1880年 - 1939年
正しい弓の道には、一片の目的も、一節の意図もあってはならない。
研造は、桃生郡大川村(現石巻市河北町)でこうじ業を営む佐藤家に生まれた。幼少期から勉強家。裏手にある大忍寺の和尚に漢学や書を学び、17歳で自宅に子ども向けの塾を開いた。
2年後、石巻市中心部にある同業の阿波家に婿入り。翌年に近所の弓道場に入門し、めきめきと腕を上げたが、家運が傾き始めて石巻を離れ、1909年に29歳で現在の仙台市青葉区一番町に弓道場を開いた。
貧しい生活が続くある日、会津若松市の高名な弓術家、大平善蔵が弓の引き比べをするため訪れた。行射の順番が先になった研造は的の中心ではなく端の4カ所を射た。「中心にはあなたがふさわしい」という目上への心遣いと確固たる実力。善蔵は感銘を受け、研造が全国大会に出るための資金援助を続けた。
この頃から研造は松島・瑞巌寺の盤龍禅師の下で禅の修練に励み始める。修行の末に「的を射る」という邪念を捨てて無心で矢を放てるようになり、百発百中の実力を手に入れたという。17年には全国大会で8射全て的中の偉業を成し遂げ、頂点に立った。仙台の道場は入門者が殺到した。
https://youtu.be/WnNtSyggFoI?t=224
https://www.youtube.com/watch?v=2VnI6m-MVaM
https://youtu.be/pI5PUN-Y0YA
https://youtu.be/AGMbroS3JwM
テキスト化したもの
一射絶命/射裡顕現
時代の中の弓と宗教 : 阿波研造と大射道教
参考