脱構築
当たり前とされたものを解体していく。
脱構築
p157
ナラティブセラピーにおける脱構築とは、ジャックデリダやミッシェルフーコーのフランス哲学者たちが用いた概念を、心理療法の分野で利用したものです。それは、人が話す物語がどのように成立しているのか、どうしてその意味を持つにいたったのかを確認していくということです。そして、特定の物語が、どのような力を持っているのかを明らかにすることでもあります。
これはどのように成し遂げるのかというと、まずは、「隠された意味、隙間や割れ目、矛盾する物語の存在に耳を澄ませる」のです。それは、その言葉がある意味を持つためには、それが意味しないものを識別できなくてはならないからです。
たとえば、「私は母親失格ですね」というとき、「よい母親像」または「合格点が与えられている母親」がその影に存在しています。私たちは、いろいろなモデルを想定し、自分と比較し、自分を判断しているのです。「母親として失格である」というストーリーを前にして、どのような事柄から「母親として失格である」という判断をしているのかという点を理解するのも、カウンセリングに於いては重要な点になります。ナラティブセラピーにおいては、それだけに留まらず、そのような判断基準がどこから来ているのか、どのように成立したのか、また、その判断基準は「誰のためのものか」ということを明らかにしていきます。
つまり、「当たり前」や「当然」とする考え方に疑問を呈していく姿勢を、ナラティブセラピーでは持つことになります。このような考え方とは、「真実」ではなく、社会的に構築されたものだからです。