暗黙知の意味論的側面
semantic aspect
初めて探り棒を使う者は誰でも、自分の指と手のひらにその衝撃を感じるだろう。しかし、探り棒や杖を使って行く手を探るのに慣れるにつれて、手に対する衝撃の感覚は、杖の先端が探りの対象に触れている感覚へと変化していく。かような具合にある種の翻訳的努力のおかげで、無意味な感覚が有意味な感覚に置き換えられ、もともとの感覚から隔てられていくのだ。注意を注いでいる探り棒や杖の先端に宿された意味にしたがって、私たちは自分の手に伝わる感覚を感知するようになる。道具を使うときも同じである。
私たちは、道具を使用して得られた出来映えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾けるのだ。これを暗黙知の「意味論的側面」(semantic aspect)と呼ぼう。おしなべて意味とは私たちから遠ざかっていく傾向があり、私が暗黙知の二つの条件を表すのに「近位的」と「遠位的」という用語を使った理由も、これでひとまず納得されようというものだ。
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生活的概念を概念操作していき、体系化していく過程で、概念が道具化し、概念が道具として改めて内面化していくのか?
パタンの形式を制御する下位層と、パタン同士をコンテキストに適合させる制御をする上位層。この上位層がパタンを道具的に用いる概念化となっているのか。