守破離の歴史
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13世紀にかけて道概念が発展した。
15~17世紀、戦国時代に茶道が発展した。道概念や序破急を取り入れ守破離概念が発展した。
18世紀までは一部の求道家の考えだった。道に命かける人。
19世紀、明治時代に日本国が西欧諸国に対するアピールとして日本文化の再構築を劇的に行った。国を挙げての身分向上運動が行われた。それまでは野蛮な国としてみられていた(西欧諸国も大概だったけど)。
今オリンピック2020年に向けて国内外に向けてアピールをしているが、それ以上の規模の改革が何十年も続いたのが明治時代だった。
海外西欧に対しては新渡戸稲造(旧5000円札に描かれた人)が武士道を創作して活用された。守破離は庶民芸の権威付け、伝統ロンダリングとして用いられることもあった。
また教育技術の発展により、さまざまな武芸で教育体系が整ってきた。近代治安の実現として守破離が技術の習得と観念教育に役立った(剣術→剣道。柔術→柔道)。
宮本茂ではないけれど守破離が19世紀において「複数の問題を解決するアイデア」だった。なりふり構わず、様々なところから地位向上に役立つアイデアを換骨奪胎し、ブランディングし、日本は近代諸国入りに成功した。
つまり守破離は19世紀に大きく変動した経済と身分という外部要因によって芸能に取り込まれた。
守破離以外も、今の日本の古くからの伝統といわれる多くが明治時代に創られた。例えば日本での初めての結婚式(仰々しい場所での式)は1873年に行われ、神前結婚式は1900年に初めて行われた。それまでは自宅で披露宴をひらくのが一般的だった。
弓術と弓道
実践的な弓術って、こんなんなの!?甲冑着てると射ちにくそうだと思ってたけど、全然別物だ!