同化と調節
assimilation / accommodation
生物が栄養物やエネルギーを摂取してそれを生体の維持や成長に役立てることを同化というように、認知的行為もまた諸対象を機能的に取り込んで行為(シェム)の保存と拡張に役立てようとするので、これも一種の同化であるとピアジュは捉える。
ピアジュによれば、同化観念は次の3つの点が重要である(Piaget, 1967a)。
1.生物学的過程と認知的過程との連続性を保証していること
2.対象からの寄与と主体からの寄与とをともに含んだ観念であること
3.意味作用(signification)の観念を含んでいること
1については、生物的過程と認知的過程という2つの過程に同じ観念を適応できるということは、認知過程が生命過程の延長であり、拡張であることを含意している。ただし、生物学的同化とちがって、認知的同化では、物質やエネルギーの摂取ではなく、環境に関する情報の摂取なので機能的同化とよばれる。
2については、認知的同化によって作られる認知構造は、行為(認知)主体と対象(客体)との相互作用の産物であることを意味している。
3については、主体がある対象を同化するということは、見方を変えれば、主体にとっての意味をその対象に対して付与するということであり、同化には常に意味作用が伴っていることを述べている。
(たとえば、石につまづいてころんだとき、その石は単なる障害物でしかないが、釘を打ち込む物を探しているときは、その石はカナヅチとしての石となる。このように、物理的に同じ石であっても、それを同化するシェムに応じて、主体にとっての意味が異なってくる。
同化と調節
「調節なき同化も同化なき調節も存在しない」
「物をつかむ」という行為は対象の諸特性への把握シェムの調節である(物の大きさ、形、重さによってつかみ方を変えなければうまくつかめない)と同時に、把握のシェムへの対象の同化である(対象の物理的特性がさまざまであるにもかかわらず、対象は把握に関して同じ意味づけを与えられる)というように。
しかし、同化と調節は対称的関係にあるわけではないことに注意しなければならない。すなわち、調節が同化シェムの調節であるかぎり、同化があれば必ず調節があることになるが、必ずしも新しい調節があるわけではない。たとえば、つかみ慣れたボールをまたつかむ(同化する)とき、その行為はそれまで行ったことのない新しい調節を必要としない。ただし、ボールの特性に合わせた把握という一般的な意味での調節はやはりある。それに対し、物をつかもうといろいろ努力したものの小さすぎてつかめない場合、そこには把握に関する同化はなかったことになるが、何らかの新しい調節はあったことになる。
同化
外界に働きかけ、既存のシェマを外界に適応し、外界をそのシェマの中に取り込む作用。赤ん坊の指すいは、吸乳のシェマを指に当てはめたと考えている。
再生的同化
同じ活動を反復する
移調的同化
新しい物に当てはめる
再認的同化
そのもの(たとえば乳房)を他の物と区別する
調節
既存のシェマで外界を同化しようとしても同化できないときには既存のシェマ自体の構造を変化させる。