人間関係の相互作用によって枠づけられた性格
性格は個人に帰属するものではなく、その人と周囲との関係を描写したものであるとグレゴリー・ベイトソンはいう。同時に学習の結果だという。 それならば、人が抱える性格から生じたように表現された問題を、より負担少なく解消できるかもしれない。性格を変えるかのような難しい解決策ではなく、より人間関係が豊かになる方向での解消である。
問題を個人に帰属してしまうと解決はその人次第になってしまう。もしかしたら、問題はその人を含めた周囲の人間関係のネットワークが生み出しているものかもしれない。
個人の性格を記すものとして列挙した形容詞が、実は一人の人間に当てはまるものではなく、その人間と周囲の人間(および事物)との交渉(やりとり)を記述するものだということに、慎重な読者は気づかれたはずだ。向かい合う世界が全然存在しない真空の状態で、策にたけていたり、依存心が強かったり、宿命論者であったりする人はいない。
「性格」というものは、その人個人が備えているものではなく、その人とほかの何か(あるいは誰か)との間で起こる事象に内在する(それらが全体として帯びている)ものなのである。
したがってわれわれとしても、考察の眼を人間同士の間で起こる現象に向け直さなければならない。そこに認められる<学習1>のコンテクストが、<学習2>のプロセスをどう規定していくのか? いまわれわれが見ているのは、二人以上の人間がお互いに交わす、身振りと行為と生きた会話の(それらを重要な出来事とする)システムである。そこでは、出来事の流動的連続に区切りが入れられ、それぞれが学習の諸コンテクストの枠内に収められている。
出典