丸山茂雄
ロックの普及
丸山:それにもかかわらず、それまで日本ではロックの人気が出なかった。だからみんなやらない。でも、それはカネのかけ方が足りないだけ。ちゃんとカネをかければうまくいくだろうという、ごく単純な発想だね。そして、実際そうだった。
三宅:カネをかけたらうまくいくと思えたのは、何かそういう成功体験があったのですか。
丸山:だって、あらゆることはインフラがないと成立しないじゃない。結局、それまでの日本には、ロックをやるというインフラがないわけよ。だからインフラから作っていかなきゃいけない。
任天堂との勝負
丸山:でも結局、プレイステーションがなぜうまくいったかというと、基本的には任天堂が使っていた製造ラインとか販売チャネルなどのインフラをなるべく使わないようにしたから。任天堂の後を追いかけるだけだと、いつまでたっても追い抜いて前に行けないじゃない。それで、まったく別のことをしたら、めちゃめちゃうまくいった。任天堂は俺らが自分たちの販売チャネルに乗ってくると予想していたのに、全然、違うことを始めたから手の打ちようがない。
三宅:任天堂の販売チャネルはどういうところだったのですか。
丸山:任天堂は昔からのオモチャの販売ルートを使ったけど、俺たちはそれをほとんど使わなくて、遊び終わったゲームソフトを買い取る中古屋に置いたの。
三宅:最初からそこからですか。家電量販店などではなく。
丸山:そう。たとえば、任天堂がマリオを大量に作ったけど、右肩上がりの人気から発売当日に売り切れてしまう。昔のゲームのカセットというのは、CDと違って、カセットそのものがハードみたいなものだから、あれを増産しようと思うと2カ月くらいかかる。そうするとゲーム好きは中古屋に来て、中古のマリオを買う。それなら中古屋に新品のプレイステーションとCD-ROMをどんどん供給するようにすればいい。
三宅:そうか。みんな中古屋に行ってました。自分にも身に覚えが(笑)。
丸山:うまくいった理由の2番目は、いいゲームを作る人たちを集められたこと。それまでゲームを作る人たちはみんな表に名前が出なかった。音楽だったら、この曲のプロデューサーは小室哲哉ですとか、エンジニアは誰それですとかクレジットが明記されていて、ユーザーも「この人の作品なら、そこそこいいものだな」って名前で判断するじゃない。
でもゲームはわざと制作者のイニシャルだけで、誰が作ったかわからないようにしているわけ。なぜならちょっといいゲームを作ると、すぐ他社から引き抜きが入るから。ということは、一生懸命作った人が自分が作ったと世の中に誇れなくて、モチベーションが上がらない。
「映画も音楽も出版も、クリエーターは自分の名前で発表しているのに、お前らが自分の名前で発表しないのは変だと思わないか」「俺は音楽をやってたけど、小室哲哉なんか、そうとう女にモテてるぞ。お前らはまったく女にモテてないだろう。本当はめちゃくちゃモテていいはずだ」というふうに説得して、いいクリエーターを集めて、そこにどんどん取材を入れたのよ。
そういうふうに任天堂の弱みをひとつずつ突いていった。それには、ソニーだけじゃなくてソニー・ミュージックのチームの視点も入ったことが役に立ったね。
マーケティング
三宅:ソニーはどのくらい自由度を与えてくれたのですか。
丸山:予算は思い切って与えてくれたね。プレイステーションの製造にはアメリカ製の高価なチップが必要だったから、予算の大部分を使ってチップを発注した。でも100万個という制限がついたから、あっと言う前に支払いが百何十億になっちゃう。これはプレイステーションを100万台売らないとえらいことになる、となった。
三宅:すごいプレッシャーですね。
丸山:でも俺は最初、それほどプレッシャーだと感じなかった。つまり、ソニーほどの電機メーカーなら、こんなこと日常茶飯事だと思っていたから。それで徳中さんに、「徳さんすごいね、ソニーってこんな予算のかけ方しているんだから、度胸つくよね」と言ったら、「何言ってるの丸山さん、こんな初めての製品の部品代をこれだけ一気に払うなんてこと、ソニーだって会社始まって以来ですよ。僕だって気持ち悪くなりそうですよ」だって(笑)。
音楽なら、このアーティストが有望だから力を入れるといったって、せいぜい3億とか4億とかそんなものでしょう。それを売れるか売れないかわからない段階で、百何十億放り込んじゃって、会社からもらった予算の80~90%使っちゃうんだから、ドキドキだよね。
三宅:逆にいうと、なぜソニーはそれを決定できたのでしょう。
丸山:そんなの知らないよ(笑)。とにかく、「予算をくれなきゃ始まらない」と言って、予算をつけてもらったわけ。それで「いくぜ100万台」というのが、ユーザーに対する最初のアピールの文句になった。
丸山:なぜならソニーのようなメーカーがゲームに進出したところで、成功するわけがないと思われていたから。任天堂の山内社長(当時)なんか、「プレイステーションが50万台以上売れたら、俺は任天堂の社長をやめる」と言っていたくらいだからね。
それにソニーは、「世界のソニー」だけあって、当時のゲーム業界から見ると「上から目線」なところがあったわけ。ところが俺ら、ソニー・ミュージックから来たチームはエンターテインメント出身だから、いつも地べたをはいずり回っている。ソニーのサラリーマンが付き合う人とミュージシャンとは全然違うし、仕事の仕方も違う。俺たちは、頭を下げたりヨイショしたり、泣き落とししたりが平気。だからゲーム業界の側でも、「お、今までのソニーと違うな」となる。エレクトロニクスとは異業種のエンターテインメント業界を知っていたからこそ、プレイステーションのチームはうまく業界に溶け込めた。