世界が私達の計算機
認知的分業ネットワークという視点で知能を考える
人レベルでは比較的無知なのに、なぜ人類は自らを取り巻く環境を思うままにできるのか
脳の中に知性があるのではなく、脳は知性の中にある。つまり脳は環境との相互作用を前提とした作動モデルだ。
人間(そして昆虫)は伝統的な認知科学の想定とは異なり、モデルを構築し、膨大な計算をしてから行動するわけではないということだ。そうではなく、世界についての事実(ボールや地面の光学的特性)を活用して、行動を単純化するのである。通常私たちは、自分の頭の中ではなく、自らを取り巻く世界に存在する情報に反応する。
外部からの手助けがあれば、個人はかなり無知ではなくなる。身体を含めた身の回りの世界が記憶装置や外部支援装置の役割を果たすことで、それらがないときよりずっと賢くなる。
----
知識はコミュニティのなかにあるという気づきは、知能に対するまったく別のとらえ方をもたらす。知能を個人的属性と見るのではなく、個人がどれだけコミュニティに貢献するかだと考えるのだ。思考が集団の中で起こる、チームとして取り組む社会的行為であれば、知能は個人だけでなく集団に宿ることになる。ここからは、知能を評価する最も良い方法は、個人が集団の成功にどれだけ貢献するかを評価することである、というわれわれの主張を説明していく。個人はチームに貢献する。そして物事を成し遂げるのはチームなので、重要なのはチームだ。個人の知能は、その個人がチームにとってどれだけ重要な存在であるかを表す。
このように考えると、知能はもはや個人の推論能力、問題解決能力ではなくなる。個人が集団の推論や問題解決プロセスにどれだけ貢献するかだ。単に記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった、個人の情報処理能力に関する話ではない。他者の立場を理解する能力、効果的に役割を分担する能力、感情的反応を理解する能力、傾聴能力なども含まれる。知識のコミュニティという視点で考えると、知能ははるかに広範なものとなる。コミュニティに貢献する方法はいろいろある。独創的発想を出すのも、長期間にわたって退屈な作業に粛々と取り組むのも貢献だ。すばらしい弁舌家であることも、舵取り役であることも、みなそうである。
アナロジーで考えてみよう。本書を通じて、認知的分業という視点で知能を考えるべきだという話をしてきた。知能は個人ではなくコミュニティに属するものであり、コミュニティ全体の生産性を高めるために異なる人が異なる役割を果たすのだ、と。これは自動車のさまざまな部品が、輸送のための分業に寄与しているのに通じる。それぞれの部品には独自の役割があり、それが組み合わさることによって自動車は動く。
このように考えると、個人の知能を測定するのは、個々の自動車部品の品質を調べるようなものだ。それぞれの部品を、さまざまな高度な検査手法でチェックする。重量、強度、新しさ、輝きを測り、価格を確認する。そうすると個々の要素のあいだに比較的高い相関性があることがわかる。つまり良い部品は悪い部品と比べて良い材料でできており、また軽く、強度が高く、新しく、輝きがあり、価格も高い。どのテストの結果も、他のテストのそれと相関性がある。知能テストと同じだ。そして測定値には何らかの意味がある。具体的には、自動車部品の品質の優劣だ。
しかし、それが私たちの最も知りたいことだろうか。おそらく自動車について一番知りたいのは、速度、燃費、信頼性といった車としての特性である。部品の特性そのものにはさほど関心はない。質の高い部品そのものが欲しいのではなく、部品が優れていれば最終製品である車の質が高くなるため、それを求めるのだ。
ときには部品を複数のテストにかけたところ、期待はずれの結果が出ることもある。一番良いタイヤは、必ずしも一番輝いているものではないかもしれない。最高のホイールキャップは、一番高価なものではないかもしれない(もちろんそれはホイールキャップに何を求めているかにもよる)。一番良いヒューズは強度が一番ではなく、一番良いラジオは一番軽いものではないかもしれない。つまりテストは、好ましい属性とは何かというヒントにはなる。個々の部品に対して、これが望ましい姿だという目安になる。しかしあくまでも目安にすぎない。最高の部品が、ときにはまったく逆の性質を示すこともある。それはテストが、最も重要な特性を直接測っていないためだ。私たちが最も重視するのは、車がどれだけの性能を発揮するかだ。必要なのは、すべての部品が同じ機能を果たすことではなく、個々の部品が車全体の性能に寄与することだ。
c因子*1
個人の知能テストに関する研究からは、あらゆる認知力テストの成績は、他の認知力テストのそれと正の相関があることがわかっている。集団知能仮説とは、集団においても同じような相関が存在するという考えだ。あらゆる集団作業の成績には相関性があり、集団の成績を分析することでg因子と同じような因子(「集団(collective)」にちなんでc因子と名づけられた)が抽出できるはずである、と。事実、そのとおりの結果が出た。相関性のなかにはかなり弱いものもあったが、ある作業で好成績だった集団はそうではない集団と比べて、別の作業でも成績が高い傾向が見られるという意味での正の相関が見られた。結果として、c因子が発見されたのである。
論文
*1, A. W. Woolley, C. F. Chabris, A. Pentland, N. Hashmi, and T. W. Malone (2010). “Evidence for a Collective Intelligence Factor in the Performance of Human Groups.
出典