上下関係のほのめかし
テーブル
そのテーブルを囲んで定期的に映画作品に関するミーティングを行っていた。三〇人が二列になって向き合い、それ以外の人が壁に沿って座ることも多かった。横に広がりすぎて話がしにくい。両端のほうの席に座った不運な出席者は、首を突き出さないと顔も見えず、話についていくこともままならなかった。それだけでなく、話し合っている映画の監督とプロデューサーが皆の意見を聞き漏らさないようにするには、どうしても二人を真ん中の席に座らせなければならない。クリエイティブのリーダーたち、つまり、チーフ・クリエイティブ・オフィサーのジョン・ラセター、私、そして五人ほどいる社内で最も経験豊富な監督、プロデューサー、脚本家たちも同様だ。このメンバーがつねに固まって座れるように、誰かが座席札をつくるようになった。まるで晩餐会だ。
クリエイティブな発想において、役職や上下関係は無意味だ。私はそう信じている。ところが知らず知らずのうちに、このテーブル( とそれに付随する座席札の習慣)がそれとは逆のメッセージを発信していた。中央に近い席にいる人ほど重要で中心的な存在であることをほのめかしていた。そして席が端の人ほど発言しにくい。会話の中心から離れているために、参加することがおこがましく感じられるのだ。テーブルの席が足りないことがよくあり、あぶれた出席者が壁際に椅子を並べて座ると、さらに三つ目の階層ができた( テーブルの中央、テーブルの端、そしてテーブルなし)。意図せずして、発言を控えさせるような壁をつくっていたのだ。
一〇年間、数えきれないほどの会議をこのテーブルと体制でやってきた。それが自分たちの大原則に反することにまったく気づかずに。なぜ気づかなかったのか。それは、席順や座席札が私を含むリーダーたちに都合のいいようにつくられていたからだ。すっかり全員ミーティングをやっているつもりになっており、自分たちが疎外感を感じていなかったため、何もおかしいと感じなかった。一方、中央に座れなかった人はそれで序列が決まることをはっきりと感じていたが、それは我々、つまり上層部の意図でそうなったのだと解釈した。だから文句を言えるはずもなかった。
テーブルを取り除いた後
テーブルそのものほど困った問題ではなかったが、座席札は上下関係をほのめかし、我々はそれこそを避けたいと思っていたので、対処が必要だった。その朝、監督の一人、アンドリュー・スタントンが会議室に入ると、座席札をいくつかつかみ、手当たり次第に動かしながら「これはもういらないんだ!」と唱えた。会議室の誰もがハッとするような言い方だった。この付随的な問題を取り除くことができたのは、この出来事のおかげだった。
出典
関連
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上下関係のほのめかしをする人への警戒
人の属性(性別・年齢・服装)で呼称を選り分ける振る舞いをする人がいます。
具体的には偏見カテゴリの属性を参照して振る舞いを変える行動です。
警戒レベルが高まります。※あだ名のように友達同士の関係は別です。
・年下だと「君」
・年上以上だと「さん」
・年下女性は「ちゃん」
こういう振る舞いをする方は例外ルールをもっており、業界で有名だったりすると「さん」に変更する世俗的権力に従順な対応をされたりします。
何に警戒するかというと、例えば、その方に対してどうこうというのではなく「背景文化や、ものの見方に特定バイアスをもっていそうかなー」と、相手の発言や振る舞いに注意するということです。
具体的には、その人の話し方をどう聞くかを調整します。属性によって思考や話し方が変わることをその人自身が認知していない場合が多いです。反対に、意図的に上下関係をほのめかす場合もあります。
身近なIT界隈だとほとんど感じること少ないです。小学生相手でも「さん」の呼称の人は一目置きます。高校生を「君」や「ちゃん」で呼ぶのは警戒します。
閑話休題
困るのが、あだ名で呼んで欲しい人たちへの対応です。
「その人をどう呼ぶかの私の自由」vs「その人がどう呼ばれたいかの他人へのリクエスト」Fight!
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