マトリクス組織
『マトリックス組織の復活とその管理の仕組みについての考察』王輝
名古屋商科大学論集研究紀要委員会
マトリクス組織の弱点を克服する 3 次元組織~トヨタ自動車の事例から~ p98 #小林英幸 マトリクス組織が目指すのは、職能や製品、あるいは地域における複雑な経営行動を円滑にさせることである(王 , 2003)10。しかしその目的とは裏腹に、マトリクス組織が経営行動の円滑さを損なうこともある。マトリクス組織の利点と弱点について、岸田(1985)は次のように説明した 11。
利点の第 1 は、マトリクス組織は効率性と市場適応性を同時に達成しうることである。資源を共有することで重複がなくなり、不確実な環境に素早く対応できるためである。
第 2 は、質の高い技術開発を促進しつつ従業員の育成が図られる点である。製品開発プロジェクトは多くの職能にまたがるため、多様な見解や視点が加わって企業の能力が最大限発揮されることに結び付く一方、職域内では専門知識を持つ者同士での切磋琢磨によって高い技術水準が保たれる。
第 3 は、トップ・マネジメントの負担が軽減される点である。意思決定権限の委譲によって日常業務から解放され、長期計画に専念することができるようになる。
弱点はいずれも権限の二重構造に起因するものである。
第 1 は、二重の権限関係のバランスを保つことが困難だということである。縦横両軸のマネジャー間で権力争いが起き、秩序を失う恐れがある。
第 2 は、二重の命令系統の対立によって、意思決定が機能不全に陥ることである。業務の調整や対人交渉にばかり資源を費やし、肝心なことは何も決まらないまま経過することになりかねない。
第 3 は、メンバーの高いストレスである。複数の上位者から指示を受け報告をする立場のメンバーは、自分の役割も明確に規定できず慢性的に高いストレスを抱えることになる。
このようにマトリクス組織には利点も多いが弱点もある。その導入を試みた企業は数え切れないが、成功例として紹介される企業は残念ながら極めて少ないと言って良いだろう。
失敗例は枚挙に暇がない。王 (2003) によれば、1970 年代から 1980 年代にかけて、業種を問わず、また企業に限らず、行政・教育・医療等の各種機関でもマトリクス組織が採用されたが、ほとんどの企業・機関(以下、代表して「企業」という)で失敗に終わったという。王は失敗の原因として、次の 3 点を挙げる 16。
第 1 に、マトリクス組織を採用するにあたっての危険性の認識の問題である。70 年代、80年代にマトリクス組織は万能薬のように扱われ、一つの流行になっていた。多くの企業は、取り巻く環境や自らの管理能力について考慮せずに、マトリクス組織を採用したという。マトリクス組織の危険性を認識せず、管理する能力が不十分だったために、両軸間でのコンフリクトが激化し、失敗を招くことになった。
第 2 に、これも認識の問題だが、企業は 70 年代、80 年代には、マトリクス構造を採れば複雑な環境に対応できると信じていた。その結果、役割の配置やパワーバランスの確保には注意を払わなかった。マトリクス組織は既存の縦軸の機能別部門に、横軸を加えることによって成立する。したがって、既存部門のマネジャーは自分のパワーが奪われてしまうと感じやすい。役割やパワーバランスに十分配慮しないと、パワーを巡って政治的な争いが始まり、無政府状態になる。
第 3 に、組織文化やサポーティング・システムの問題である。当時の企業は既存の組織文化やサポーティング・システムを踏襲したため、パワーを巡っての政治的な争いにおいて既存部門に武器を与える結果となり、新たに加わった横軸の部門が力を発揮できる環境にはならなかった。
沼上 (2003) がコンフリクト発生時の対処について論じたのに対し、王 (2003) はコンフリクトを発生させない環境設定について、下記の点を示した 18。
長期間にわたって定着した行動規範は、マトリクス組織の管理に障害となることがある。たとえば事業部制組織からマトリクス組織へ移行する場合、事業部の利益最大化に適した行動規範は、マトリクス組織の利益最大化に適したものにはなっていないのが普通である。情報システムについても同様であって、事業部制組織では各事業部が独自の情報システムを開発していることが多く、それがマトリクス組織では弊害となる。また事業部内で築いてきた人間関係に依存しようとする意識も、マトリクス組織では弊害となる。
したがってマトリクス組織が採用される際に、全社の共通理念に基づく行動規範に改められる必要があるほか、事業部を超えた情報システムや人間関係の構築が図られる必要がある。王はこれらをまとめて、マトリクス文化の確立とマトリクス・システムの構築と称した。
沼上 (2003) は、マトリクス組織の両軸の性質を、「蓄積や効率を重視する職能性組織は市場への対応に難があり、市場への対応に優れた事業部制やカンパニー制は効率を犠牲にしがちである」と説明したうえで、長期の蓄積と短期の市場適応のバランスを取る方法として、次の 3 点を示した 17。
・職能部門長と事業部長とが腹を割って徹底的に話し合い、その都度、会社全体のことを考え
てコンフリクト解消を行う。
・両者のコンフリクトをトップが強権によって解消する。
・二人の上司に仕えるミドルが自分自身の頭の中で葛藤しながら適宜バランスをとっていく。
1 つ目の方法、すなわち縦横両軸の長が話し合って解決する方法が機能するためには、職能部門長と事業部長が実力伯仲し、互いを認め合い、ともに大所高所で意見を言い合える資質を備えている必要がある。その上で、日常的に発生するコンフリクトの解消に多くの労力を割かれても業務が停滞しないような、周囲のバックアップ体制が整っている必要もある。
2 つ目の方法、すなわちトップの強権で解決する方法が機能したとしても、主張が通らなかった部門にはしこりが残る。そして主張が通った部門も含めて、部門の長の求心力は幾らか削がれることになりかねない。自分のレベルでは解決できずトップに決めてもらうことになったのであり、これがたまの 1 回ならまだしも、繰り返すようだと深刻な事態になる。
3 つ目の方法、すなわちミドルがバランスを取るという方法は、沼上自身が指摘するように、部下への「悩み」の委譲であって、好ましい方法ではない。しかし現実には、1 番目の方法が機能するような優秀なマネジャーの組合せはそれほど多くなく、2 番目の方法が実行できるトップばかりでもなく、ミドルに押し付けている組織が幾らでもあるという。
沼上 (2003) はこの現実を踏まえて、マトリクス組織を採用することが自動的に何かを解決するわけではない、組織の機能は「ヒト」次第だと主張している。つまり、マトリクス組織で発生するコンフリクトに対する現実的な 3 つの対処法を示しながら、ヒトに依存する解決策だと言っているのである。
主査制度
Clark & Fujimoto(1991)によれば、自動車メーカーにおいては日本に限らず、1960 年代の純粋な機能別組織が、1980 年代後半までに部門間の調整のためのメカニズムを組み込んだという 20。「どこのメーカーでも、ある部と別の 1 つまたは複数の関連部との連絡調整を主な仕事にしているエンジニアが見受けられた。」
この「連絡調整を主な仕事にしているエンジニア」すなわち「リエゾン・エンジニア」は各部に所属して他部との調整や情報交換を行うのであるが、やがてリエゾン・エンジニアたちを集めて製品開発プロジェクト全体の調整を行う役割を担うエンジニアも登場するようになった。それが「プロダクトマネジャー」である。
プロダクトマネジャーというポストは、ほとんどすべての自動車メーカーが設置しているが、その行動や姿勢は一様ではない。トヨタではチーフエンジニア(以下、CE)がその立場にあるエンジニアであるが、文字どおりエンジニアの中の最高位に位置する役割を担っている。製品開発の中心であり、調整するというよりも牽引すると言った方が実態に近い。トヨタの CE のような役割は「重量級プロダクトマネジャー」と呼ばれ、日本の自動車メーカーは概ねこの形態を採る。調整が主な役割であれば「軽量級プロダクトマネジャー」と呼ばれる。
トヨタの主査制度の主査とは、1953 年に重量級プロダクトマネジャーの役割を導入した際の、その役割の呼称である。現在でも主査と呼ばれるプロダクトマネジャーは存在するが、彼らはCE の部下であり、当時の主査に当たる役割は現在では CE である。
ところで、ここにもまた文献とトヨタ社内での理解とが整合しない点が見られる。文献では60 年代まで、自動車メーカーは純粋な機能別組織を採っていたことになっており、その後次第にプロダクトマネジャーという役割ができていったとされている。一方トヨタ社内では、1950年代に活躍した数名の主査は現在の CE 以上に強い権限を持っていたと認識している。彼らは紛れもなく重量級のプロダクトマネジャーであり、その時点でマトリクス組織が存在したと考えられているのである。
委員会活動
昨今のトヨタの製品開発で特徴的なことの一つに委員会活動がある。委員会活動は特定のテーマに基づく特別活動で、原価に関するものが多い。古くは単一の車種に特化した活動だったが、2000 年に始まった CCC21 委員会以降は車種を越えた全社活動となった。現在までの主な委員会活動について、かいつまんで説明する。
① CCC21 委員会
2000 年 7 月に活動を開始した。21 世紀における世界ナンバーワンの競争力をもったクルマづくりを目指し、設計、生技、調達、仕入先という従来にない枠組みでの「四位一体」活動により、3 年間で 3 割のコスト削減を図るとした。
競合車の部品の原価は多くの場合、トヨタと取引のある仕入先に作ってもらったら幾らくらいで買えそうだ、という程度のことしか分からない。それでもベンチマーク活動によって、競合車のコストレベルがある程度は予測できる。CCC21 委員会の活動では、CC グラフ 22 を用いた世界最安値水準の見極めと、それを目指した原価低減活動が行われた。
② VI 委員会
2005 年 5 月に活動を開始した。設計素質(体格、質量、部品点数)の劇的な改革によるコスト削減を目指し、先行段階から設計思想に踏み込んで見直しを図った。通常の VE 活動が扱う部品単位の原価低減に留まらず、隣り合う部品など複数の部品を組み合わせたシステムの単位にまで拡大された。
VI 委員会の活動は 2008 年 2 月に発売したクラウンを先頭車種として順次展開された。ところが VI アイテムの中には一部の車種にしか適用できないものも少なからずあり、先頭車種と後続車種とでは得られる恩恵に差が生じた。またモデルチェンジが一巡すると 2 度目の劇的な改革は難しく、新たな切り口の活動が再び必要になった。
③ RR–CI 委員会
2010 年 1 月に開始し現在に至るこの活動は、仕入先と一体になって世界最安値を目指す点でも、ツールとして CC グラフを用いる点でも CCC21 に通ずる。これまでの委員会活動と同様に部品単位の原価低減が中心課題ではあったが、VI の反省から、どの車種にどのアイデアが適用できるかを特定しながら進めている。全車種が対象ではあるが、開発が始まるプロジェクトから
順にカテゴリーを明示して活動している。こうすることにより、地域や車格に特有の事情を十分に考慮した上での原価低減アイデアが創出されやすくなり、実現する可能性も高くなる。
④部品シナリオ委員会
委員会活動の中で 1993 年以来、最も長く続いているのが部品標準化活動である。部品標準化とは、良い設計素質の部品を多くの車で長く使うことである。この活動により、開発リソースの低減、原価の低減、品質の安定、工場スペースの低減、補給部品種類の低減が可能となる。
原則的に各開発車は定められたシナリオに従って、あるいはメニューとして掲示された中から選択して、標準化部品を使用することが義務付けられている。ただしより良品で廉価な設計が実現すれば、審査の上でそれが新たな標準品として認められることもある。
3 次元組織
トヨタの開発体制は CE を中心とする車両軸と職域別の機能軸からなるマトリクス組織を取っている。職域は設計・生技・調達・物流などに分かれるほか、設計の中でもボディ・シャシー・電子・エンジンなど担当領域に分かれている。図 1 は車種(車両軸)と設計領域(機能軸;設計領域の場合は部品軸ということが多い)とで形成するマトリクスを表している。
しかし昨今のトヨタの開発体制は、二次元のマトリクスだけでは語りきれない面がある。縦横両軸を包含する委員会活動の存在である。現在行われている委員会活動には、RR–CI、全社VA25、部品シナリオなどがある。各委員会は役員が委員長になり、部署横断的な事務局が旗振り役となって運営していく。これらの活動を第 3 軸として捉えれば、図 2 のように 3 次元の体制として表すことができる。
https://gyazo.com/455c21565727f4b529be60e3d65eef7f
コンフリクト克服のメカニズム
トヨタの開発体制において、車両軸と部品軸との間でコンフリクトが発生する可能性は多分にある。車両軸の CE はクルマとしての最適解を目指すが、部品軸の設計者は担当部品にとっての最適解を目指すからである。
たとえばある先進的な低コスト化技術が 3 年後からは搭載できると設計者が宣言したときに、その半年前にラインオフする車種の CE はもう少し開発期間を短縮して自分の車種に間に合わせてほしいと要望するかもしれない。しかし設計者は、優れた設計をするためには開発期間を半年も短縮することなど不可能だと考えるだろう。
また、CE が標準化の棚 28 に入ったどの部品も気に入らず新しい設計をするよう設計者に指示しようとしても、設計者は中長期的な部品開発のシナリオから外れることはできないとして従わないかもしれない。
車両軸と部品軸との間で上記の例にも増してコンフリクトが発生し易いのは、設計室別目標原価についてである。車両の目標原価を設計室毎の目標原価に割り付ける車両軸としての目標作成方法と、部品別の目標原価を積み上げて設計室分の目標原価を認識する部品軸としての方法とでは、前者の方が厳しい目標になるのが通例である。
さまざまな場面で CE の意向は尊重されるが、設計室別目標原価については設計領域としても唯々諾々と従うわけにはいかない場合がある。その車種のラインオフ時期までに進むであろう低コスト化技術を最大限取り入れたとしても到達できない目標を提示されたら、その目標の達成を約束することはできないからである。
この点に関する RR-CI 委員会発足以前の典型的なコンフリクトは、部品軸が「限界を超える厳しい目標だ」と主張する際に、車両軸が「証拠を示せ」と迫るという図式であった。この場合、結局は部品軸(設計)と車両軸(CE)の主張の強い方の目標になってしまう。そして実際にはほとんどの場合 CE の主張に沿った目標になり、設計者に不満が残ることになった。
このようなコンフリクトが発生するとき委員会軸はどのような役割を果たすかというと、車両軸と機能軸が協力して成果を上げることを求めるのである。
たとえば RR-CI 委員会では、部品別の究極の目標レベルである原価ポテンシャル 29 を見極めて、そこに向かって部品軸が活動し、その活動の成果が車両軸にどのように取り込まれたかを評価する。また部品シナリオ委員会では、車種ごとに標準化部品の採用率を審査し、部品の新設が提案された場合にはその妥当性を審議する。
委員会は俯瞰する位置から他の 2 軸のコラボレーションを促していると考えられる。車両軸と部品軸でコンフリクトが起きても、委員会への報告に向けてどこかでは合意を形成しなくてはならなくなるし、委員会はそのためのツールや情報を提供するのである。
トヨタの 3 次元組織で起きる典型的なコンフリクトは、設計室別目標原価を巡る車両軸(CE)と部品軸(設計者)の間のコンフリクトである。クルマとしての最適化を目指す CE は、各設計室に対して厳しい目標原価を指示せざるを得ない場合が多い。担当部品としての最適化を目指す設計者は、その目標原価では必要な性能を満たせないと主張し、CE の指示に従えない場合も少なくない。
この事態を未然に防ぐのが委員会軸の RR-CI 委員会である。設計者には CC グラフに基づく原価ポテンシャルを算出させ、全部品の原価ポテンシャルの総和を CE に提示して、それを前提とした製品開発の牽引を求める。設計者に対して、原価ポテンシャルの申告が本当にそれ以上は安価にできないレベルになっているか、目利きの専門家が事務局として目を光らせる一方、委員会の長は専務級の役員であり、CE が原価ポテンシャルを超える厳しい目標を設定しないための重石になっている。
マトリクス組織における異軸間のコンフリクトを、その都度誰かが奔走して調整していては非効率極まりない。沼上 (2003) で示された 3 つの方法のいずれを採っても、誰かが大変な労力を強いられることになる。したがって王 (2003) の問題意識のように、未然防止を図ることが必要になってくるのだが、ABB での実施事例を含めて未然防止が機能する仕組みは示されなかった。
トヨタの 3 次元組織は、異軸間におけるコンフリクトを仲裁し、あるいは未然に防ぐ仕組みと捉えることができる。もっとも委員会に車両軸が関わるようになったのは 2010 年(RR-CI 委員会)からである。つまり 3 次元組織という仕組みができたのは近年のことにすぎない。
それでは 3 次元組織が誕生する 2010 年以前は、車両軸と部品軸の間のコンフリクトはどのように克服されていたのだろうか。小林 (2017) では、トヨタのベテラン設計者 10 名に、CEと上司とで意見が分かれたときどうしたか聞いた。その結果、目立った回答は、CE と上司とで直接決着を付けてもらったというものと、自分の意見に近い方に味方した、というものだった。
沼上 (2003) で示された 3 つの方法の 1 番目と 3 番目と考えて良い。トヨタでは 2 番目の解決方法はまず採られない。CE は開発の全権を委ねられた存在であり、トップに助けを求めたのでは求心力が保てないからである。
筆者が駆け出しの設計者だった 1980 年代までの主査は現在の CE よりも強いカリスマ性を持っていて、部品軸が車両軸に従属しているような状況だった。コンフリクトの起きようがなかったのである。その後、上記のようにその都度解決する時代を経て、最近では典型的なコンフリクトの幾つかを未然に防ぐ仕組みができたということである。
王 (2003) や Horney & O’Shea (2009) らはマトリクス組織が必ずしも 2 次元で留まるとは限らないという認識を持っていたが、実際に 3 次元組織を採っている企業の例は報告されていない。