パタン
pattern アレグザンダーの中心にある概念
「パタン」はある価値感、つまり「美」の考え方のうえに成立しているといってよく、世の中の現象をどう見るかという考え方を提起しています。「パタン」として定義された内容をみれば、「パタン」集はものの見方を区別して見るための「ルール」です。逆にいえば、何かを切り捨ててものをみる方法の提示でもあります。
例えば、「厚い壁」という「パタン」は、壁の見方を変える提案です。壁自体をつくり替えることで、部屋の機能も変えることができるだけでなく、壁は住宅の歴史を刻むものであり、住人にとっての思い出を育む場となり、かけがえない個人の空間をうみ出すことから、壁が常識以上の厚みを持ち、改装可能でなければならないと指摘しています。そういったように、「パタン」は、そういう新しいものの見方や価値感を提起します。
捨象と提案の塊
・環境の実態はものではなくパタンによって構成されていること
・よいパタンと悪いパタンは客観的に区別できるということ
・環境はパタン・ランゲージと呼ばれる一種の言語に似たシステムによって生成されるということ
・それを複雑なシステムにうまく適応するためには、細部で無数の局所的な適合が必要となり、同時にそのプロセスで住民の参加が不可欠であること
・その結果、正しく構成された環境には、美しいものに特有の明確な幾何学的特性が現れ、その形は客観的に定義できるということ
(アジャイル宣言の原則っぽい)
キッチンを考えてみましょう。カウンター(調理台)と冷蔵庫と流しとレンジの間にはある関係が存在します。これは誰でも知っていることです。しかしこれはまだ『もの』という視点から考えており、キッチンはカウンターと冷蔵庫と流しとレンジというものからできていて、そこに生じる関係性はキッチンを作るときの二次的役割だと考えています。しかし注意深く見れば、レンジはオーブンとヒーターとスイッチなどの関係によって成立しているのだし、そのスイッチも人間の手で回せる部分との電気的接触の関係によって成立しているのです。結局これらの全体的本質はパタンでできていて、『もの』は私たちがパタンの集合につけた簡便なレッテルにすぎないのです。
かなり難解ではありますが、これは近代の数学や物理学と整合性のある考え方です。したがって驚くべき展開というわけではありません。しかし常識的にみて、完全に自然な考え方にはなっていません。やや直感に反するところがあり、びっくりさせられるものです。ここには言語的な問題が絡んでいます。私たちはものには名前をつけますが、関係にはあまり多くの名前をつけていません。私たちの言語は名詞中心であり、名詞がいくつかの関係をひとまとめにしてそこにレッテルをつけるという考えには、言語体験からみても奇異な印象を受けます。ウォーフが、いくつかの伝統的言語ではまったく逆であるという事例を示してはいますが、ほとんどの西欧言語圏では、名詞は実体を示すのだという幻想が頑なに信じられているようです。これは近代物理学でも問題になっていることです。そこでは一般に使われている概念と言語とが相反しているのです。たとえば原始は一般に『もの』であると考えられていますが、実際には違います。同様に、ものよりもパタンの方が基本的であり、パタンは単に現実の付加物なのではなく現実そのものだという考え方は、容易には受け入れがたいものなのです。
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ひとつの建物をデザインするために払われる努力は、まったく想像を絶するものだと直感した。
ある種のデザインは一般解から構成されており、ダイヤグラムがこの一般解を表すという考えが、BARTの研究所によって浮かんできました。『ノート』ではシステムをサブ・システムに分解し、ダイヤグラムを構成し、そこから答えを導き出すのだと述べました。しかしそれはたったひとつのデザイン問題に答えるための理論でした。BARTで、信じられないほど複雑で時間も金額もかさむようなデザイン問題に直面した結果、いま私たちがしているような膨大な作業が建物が建てられるたびに行われるはずがないと悟ったのです。しかし、もしこのデータが何回も繰り返し使えるのならば、貴重なものになるでしょう。とするとダイヤグラムは、結合法則の役割を果たす一般解的な実態なのだという考えが浮かんできました。これは現在の理論では、パタンと呼ばれています。」
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