トキワ荘
才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった。このほかに「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と、「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている。
それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、
『漫画少年』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
協調性があること。
最低限、プロのアシスタントが務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。
といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(居住できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画エリート集団であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている。
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奇跡のアパート「トキワ荘」
https://gyazo.com/9221621b0321e53d1753b27f839b9018
関連
西荻トキワ荘
大泉サロン
「大泉サロン」には、山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)、たらさわみち、城章子など、いわゆる24年組と呼ばれる世代を中心とする若手女性漫画家やアシスタントが集まった[。ファンで参加し、後に漫画家になった者もいた。
半年ほどで常時数名が合宿という状態になり、互いに臨時のアシスタントとして手伝いあった。生活費はあるとき払いで入れていた。肉筆回覧誌『魔法使い』の制作をはじめ、互いの作品制作協力、少女漫画の今後のあり方に関する議論などの活動が行われた。明け方まで熱談が続くこともよくあり、多くが参加した出版社のパーティの後日にも感想や情報交換で盛り上がった。
早大童話会