ソロー残差
新しいアイデアが経済成長のエンジンとして果たす決定的な役割は、何十年にもわたり議論されてきたけれど、それが1957年に単純で巧妙な計算を通じて決定的に確立された。32歳のMITの経済学者ロバート・ソローが、シャーロック・ホームズのお株を奪う形で答えを出したのだ。他の主要な容疑者を消していったのだった。
ソローの計算までは、経済学者は経済成長を二つの要因の間でどう仕分けすべきかわからずにいた。労働生産性の上昇(つまり一人一時間当たりの産出の増大)は、新しい発明(「技術変化」と呼ばれる)のおかげかもしれない。あるいは「資本」(たとえば機械、建物)が増えたせいかもしれない。資本の稼ぎ分が産出への貢献をあらわすという単純な想定を使って、ソローは資本成長に分配できる生産性成長の割合を計算できた。そしてかれは(1909年から1949年にかけてのアメリカでは)資本成長の分が8分の1でしかないのを発見した。残りの8分の7は、他の容疑者のせいであるはずだ。これは新しいアイデアとなる。ソローは、この「残差」が「技術変化」によるものだと述べた。
このちょっとした見事な計算により、経済進歩に関する経済学者たちの見方は永遠に変わった。もはや生活水準の向上は、主にますます大きな工場をたくさん建て、労働者を悲惨な条件で雇うことで実現されるのではない。19世紀マンチェスターの繊維工場や、今日のバングラデシュの繊維工場とはちがうのだ。この単純な一行の計算式は、経済成長の源について新しいイメージを作り出した。計算当時の1950年代、この結果をまとめるなら「よりよい生活のためによりよいモノを……化学を通じて」というデュポン社のモットーのようなものになっただろう。後の世代にとって、それはその後25年たって台頭するシリコンバレーのようなものとなるだろう。
ソローの計算のちょっとした、だがまちがった解釈に戻ってくる。そのまちがった解釈とは、進歩は新しいアイデアによるというだけでなく、新しいアイデアはすべてまちがいなく経済進歩につながるというものだ。アイデアというのが技術的なものとしてのみ理解されるのであれば、これは自然な結論となる。新しいアイデアは、もっと多くの産出を少ない労働で作れるようにしてくれる。でも私たちの思考がすべてモノについてではないのと同じように、あらゆるアイデアがモノについてではない。人々の多くのアイデアは──いや人々の思考の核心は──仲間の人々についてのものだ。精神的に健全な人々は、他人の思考を知覚する微妙な能力を持っている。心の理論を持っているのだ。それは人類の最も魅力的な特長の一つだ。それはお互いへの共感の根底にあるものだ。
でも心の理論には負の面もある。これはつまり、こっちの得になるよう(でも相手の得にはならないよう)人々をおびき寄せるにはどうすればいいかも考案できるということだ。結果として、多くの新しいアイデアは技術的なものにとどまらない。それは必ずしも、お互いにとって双方得のあるものを提供してくれるとは限らない。それはむしろ、心の理論の新しい使い方であり、自分には得だが相手には損をもたらすようにする手法だ。そうした新しいアイデアは、本書のあらゆる章に登場する。たとえばラスベガスの中毒性スロットマシンを見た。腐った「アボカド」(つまり腐った金融派生商品)をトリプルAに格付した格付機関を見た。ハサウェイシャツの男や芝刈り機に乗った上院議員の売り込みも見た。ウィンドウに戦略的に置かれたワンちゃんの話も見た。例示はいくらでも続く。