ゲーミフィケーション
ゲーミフィケーションの失敗
ゲーム作者「タンスにアイテム入ってたら喜ぶやろなあ」
ワイ「これから全てのタンスを調べるのか…」
ゲーム作者「2度話すと別のこと喋るNPCがいたら楽しいやろなあ」
ワイ「これからすべての人間に2回話しかけるのか…」
ストレスを快感に変換する
筋トレという退屈でストレスのかかる動作に快感を持たせる
https://youtu.be/pmUS1nXq9RI
受動的な態度でも楽しめるゲーム
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「JavaScript」を実際に打ち込んで対戦する『Screeps: Arena』が配信開始。ユニットのAIをプログラムしながら、オンラインで戦うユニークな戦術ゲーム
ゲーミフィケーション
ゲーミフィケーション(ゲーム化)とは、ゲームではない体験をゲームにしてしまうことを言う。2002年にこの造語を考案したのは、コンピュータープログラマーのニック・ペリングだ。ゲームのメカニズムでどんな体験でも魅力を高められる——とペリングは考えたが、コンセプトを商業化する方法が思いつかず、ほったらかしていた。2010年にグーグルとベンチャー・キャピタル大手数社に着目されたことから、ゲーミフィケーションというコンセプトは日の目を見ることになる。
中心にあるのは「体験そのものを報酬にすべき」という発想だ。食糧支援団体に寄付する意欲がなくても、単語を覚える気がなくても、フリーライス・ドットコムではわざわざ自分の時間を投じて遊びたくなる。体験そのものを楽しんでいるうちに、いつのまにか単語を暗記し、いつのまにかコメを寄付しているというわけだ。
ゲーミフィケーション専門家として知られるペンシルベニア大学ウォートン・スクール教授のケビン・ワーバックと、ニューヨーク・ロースクール教授のダン・ハンターは、ゲーミフィケーションの例を100件以上検証し、共通する3つの要素を明らかにした。ポイント制であること、バッジがあること、そして上位に入ったプレイヤーを発表するランキング表(リーダーボード)があることだ。
たとえゲーミフィケーションに効果があるとしても、物事をゲーム化すること自体を強く批判する意見もある。ジョージア工科大学教授でゲームデザイナーでもあるイアン・ボゴストがその陣営の先鋒だ。
ボゴストは、2011年にペンシルベニア大学ウォートン・スクールのゲーミフィケーション・シンポジウムに登壇した際、講演タイトルを「ゲーミフィケーションは欺瞞ぎまんだ」とつけた。そして「(ゲーミフィケーションというコンセプトは)ゲームという人気の野生動物をつかまえて家畜にする方法として、コンサルタントがひねり出したもの」と語っている。追求せざるを得ない課題を強制的に押し付けておきながら、ユーザーの健康や幸せに役立つなどと主張するのは本末転倒だ、と彼は言う。ゲーミフィケーションは、まさにゲームデザインの負の威力——行動嗜癖に火をつける——を発揮するものに他ならないというわけだ。
しかし、何でもゲームにすればいいわけではない、というボゴストの主張は重要な点をついている。たとえば、ちゃんと食事をしない子どもがいるなら、食事をゲームにするというのも対策の1つだ。スプーンを飛行機に見立てて口へ運んでもいいかもしれない。だが、その場では適切な対応に見えるが、長期的に子どもは食事を遊びと見るようになる。ゲーム性に頼ってしまうようになり、楽しくて引き込まれる面白いものでなければ、する価値はないという理屈になる。体力と栄養のために食べるという動機は育たず、食事はゲームだからするものと学んでしまう。
現実的には、幼児が食事をゲームと思うかどうかは重大なことではないだろう。もう少し大きくなれば食事の目的は理解できるものだからだ。しかし、食事の動機を遊びにしてしまうのと同じ要領で、ゲーミフィケーションは他の体験を「つまらないもの」に矮小化する。オランダのオーデンプラン駅に現れたピアノの階段は楽しい趣向だが、それで長期的に健康的な行動を促せているわけではない。むしろ、運動は心身の健康のためというよりも、ただただ楽しくあるべきものだと示唆することによって、健康的な行動の大切さを軽んじたとも言えるのではないか。階段をピアノに見立てるゲーム化は面白いが、それで翌日、翌週、翌年の運動習慣を変えられる可能性は低い。