オデッセイ
1951年、軍事用電子機器メーカーのローラル・エレクトロニクスにエンジニアとして勤めていたラルフ・ベアは、レーダーやソナー等に使用するテレビジョン機器の研究の中で、「単純にテレビ放送を見るだけではなく、視聴者がテレビ画面を操作する」というアイデアを思いついた。しかしローラルにおけるベアの上司はそのアイデアを評価せず、ベア自身もアイデアを追求することなくその他の研究に勤しんだ。1955年、ベアはサンダース・アソシエイツに移り、1960年には500人ほどのエンジニアを監督する映像機器部門の部長職に就いた。
1966年8月、バス停で同僚を待っていたベアは、「テレビに繋いでゲームを遊ぶことができる機械」のアイデアを閃き、メモ帳に書き留めた。翌朝、自分のオフィスに戻ったベアはメモに書き留めたアイデアを清書して25ドルの「ゲームボックス」の基本的な仕様の構想を4ページの文書にまとめた。ベアは後に「まさにエウレカの瞬間だった」と述懐している。
こうしてベアによって「チャンネルLP(Let's Play)」と呼ばれるゲーム機の試作プロジェクトがスタートした。サンダースは軍需企業だったため、こうした娯楽のための装置のアイデアが受け入れられないことを経験から学んでいたベアは、ひとまず概念実証のための成果物を作ることを優先し、エンジニアのボブ・トランブレー(Bob Tremblay)と共に「TV Game Unit 1(テレビゲーム装置1号)」と名付けられた試作機を作った。1966年12月、サンダースの研究開発部門の責任者であるハーバート・キャンプマン(Herbert Campman)に対して行われたデモンストレーションで、キャンプマンはベアに2000ドルの人件費と500ドルの材料費を与えて研究を続けることを許可し、「チャンネルLP」はサンダースの公式プロジェクトのひとつに格上げされた。