すぐ近くにある勝利
私にとっては、スーパーヘキサゴンにがっちり心をつかまれた理由は他にもあった。勝利がすぐ目の前にある、という感覚を味わえることだ。確かに最初の数百回は惨敗だったが、「あとほんのちょっとだけ早くクリックすれば、迫ってくる壁を避けられる」という感覚をつねに感じていた。レベル1はいずれフィニッシュできるという確信もあった。第5章の終わりに『ザ・シンプソンズ』の例で説明したように、そうした「すぐ近くにある勝利」——負けつづけているにもかかわらず、勝ちは目の前だと信じている状態——は、非常に依存性が高いのだ。むしろ本当の勝ちよりも魅力的になる例も少なくない。
2015年に発表された、マーケティング学教授2人による論文が、このことを裏付けている。論文著者らは、被験者がスクラッチくじを削る様子を観察した。数字の8が6個並んだら20ドルがもらえるというくじだ。くじは「当たり」(図の一番上)、「惜しい(あとちょっとで当たり)」(図の中央)、そして「明らかにハズレ」(図の一番下)の3種類にデザインしてあった。
被験者の大半は、スクラッチくじのマスを左上から右下にかけて削っていった。そのため「明らかにハズレ」である場合、削りはじめた直後にそれが判明する。しかし「当たり」と「惜しい」の場合は、削りはじめは同じように好調に見えて、最後の最後に勝敗が分かれる。研究チームは、スクラッチくじを終えた被験者に別の作業を指示し、その行動をこっそり観察した。すると、くじが「惜しい」だった被験者のほうが、その後の作業に対して意欲的だったのだ(別の実験でも同じ効果が確認された)。指示した作業が買い物であれば、より多く商品を買った。数字を振ったカードを並べ替える作業であれば、より迅速かつ効率的に並べ替えた。くじの賞金とは関係のない報酬を取りに行く際の足取りも軽く、速かった。他にも、「明らかなハズレ」の被験者よりも「惜しい」だった被験者のほうが唾液の量が多かったことまで確認されている。
あとちょっとで勝てるという体験が、人の心に火をつけるのだ。それなのに最後の最後で味わわされた敗北感をまぎらわせるため、何かの行動を——なんでもいいから——せずにいられなくなる。別の研究でも同様のパターンとして、ギャンブルをする人も「惜しい」ゲームを好むことが確認されている。まったく箸にも棒にもかからないギャンブルや、15%の割合で「惜しい」が出るギャンブルと比べると、全体の30%の割合で「惜しい」が出るギャンブルのほうが、より遊びたい気持ちになるのだという。
「惜しい」は、成功が間近にあるというシグナルを送っている。私が繰り返し失敗しながらスーパーヘキサゴンを続けてしまったのも、それが理由だ。あと少しで勝てる、練習とガッツさえあれば達成できるというメッセージを受け取った気になっている。
ただし、このシグナルが信用できるとは限らない。ゲームが完全に運しだいの場合は特にそうだ。スロットマシン依存症について研究している文化人類学者のナターシャ・ダウ・シュールが指摘したとおり、カジノはまさにこの手法で客の心をがっちりとつかむ。スロットマシンの「惜しい」と「ハズレ」に実質的な違いは何もないというのに、「惜しい」を見せることで、大当たりはすぐそこだと思わせるのだ。特定の回転に対する意図的な勝率変更は非合法なので、「惜しい」だろうが「ハズレ」だろうが、それで大当たりが近づいている証拠にはならないというのに*8。