『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』
p26 力と愛の定義
力とは「生けるものすべてが、次第に激しく、次第に広く、自己を実現しようとする衝動」である。言い換えれば、力とは、自分の目的を達成しようとする衝動、仕事をやり遂げようとする衝動、成長しようとする衝動である。
相手は「切り離されているものを統一しようとする衝動」である。言い換えれば、愛とは、ばらばらになってしまったもの、あるいはそう見えるものを再び結びつけ、完全なものにしようとする衝動である。
本書の中心にあるのは、こうした愛と力のとらえ方であり、一般に考えられているような、身体的な力とロマンチックな愛のことではない。
p34 力のない愛、愛のない力
「愛なき力は無謀で乱用を招き、力なき愛は感傷的で実行力に乏しい
@46 「する力」と「させる力」
力の生成的な面
自己実現の衝動 する力
力の退行的な負の面
他社の自己実現を盗み取る、もしくは押さえつける力
p47
「させる力」は「する力」の部分集合なのだ。
退行的な「させる力」は、生成的な「する力」から生じる。私が自分の「する力」を行使しようとし、やはり自分の「する力」を行為しようとするあなたとぶつかっていると感じ、この対立で私のほうが優勢だとしたら、私はあなたを支配する力の行使にやすやすと転じることできる。私の自己実現の衝動は、何の抵抗もなく私の自己実現をあなたのそれより上位に評価し、傲慢にも私のほうが自己実現するにふさわしいと信じるようになり、あなたの自己実現を妨げるときでさえ、私の自己実現を推し進めるようになる。
p88
「する力」も「させる力」も行使するエリート層にとって不都合な真実は、対話によって明らかにされる。統一性を完全に認めれば、他社のエンパワーメント(能力・地位向上、自己実現促進)のために行動しないわけにはいかなくなること、それによって自分達の特権が縮小することだ。
p92
いつも話していることを話し、いつもしていることをすることによって現状を再現することは、礼儀正しく、対立を避けられるが、偽物の全体性を生み出す
p116
だれも力について話題にしないときは常に、それも間違いなく強い力が存在する。力が話題になっていれば、それは力の衰退の始まりだ
p 121 @3
「システムの中心部にぎりぎりまで近づくと、悪魔が登場する。悪魔というのは、そのシステムの最も強く、最も油断ならない擁護者という意味だ。自己免疫システムみたいなものかな。これに備えておかないと、打ち負かされて、そのシステムを変えようとという努力は水の泡となってしまう
p128
力と愛の両方が見えるようにする一つの方法は、両方の存在をはっきり問うこと、つまり、否定され、話題にできないのではなく、両方が認められ、話題に出来るようにすることだ。私たちは、関係者とともに、自分達の状況を問わなければならない。
p163
西洋の文化では、「力」は「一方的な力」を意味し、「愛」は「一方的な愛」を意味する。そのため西洋人は、力と愛を正反対のものだととらえる傾向があり、両者の正しい関係は、この二つの対人関係の効果を相殺することだと考えがちだ。だれから「力で動かす」とき、相手の関心は無視している。だれかを「愛する」とき、自分自身の関心は無視している。しかし、力と愛は、利己心と自己犠牲のように、大局の関係にあるのではなく、夫婦関係のように補うものなのだ。