『ブラックサンダー』
そもそもブラックサンダーが誕生したのは1994年。55年に創業した有楽製菓は、80年代に入り、子ども向けの駄菓子販売にシフトし始めていた。当時は100円ほどの袋入りのピーナツチョコなどを製造し販売していたが、競合が多く、厳しい価格競争にさらされていた。そのため、価格競争をしなくても済む市場を開拓しなければと、駄菓子に着目。そうして90年代に入り生まれたのが、当時、有楽製菓の主力商品だった「チョコナッツスリー」(現在は販売中止。販売時の価格は20円)の軽い食感とは反対の、ザクザクとしたハードな食感と満足感のあるブラックサンダーだった。
満を持して発売された新商品だったが、翌95年には販売不振のため、終売に追い込まれる。多くの駄菓子が10~20円で販売されるなか、製造の都合上30円(税別)という価格にせざるを得ず、メインターゲットである子どもには手が出しにくかったのだ。また当時の商品名はアルファベットで書かれ、パッケージは黒と金という、子ども向けらしからぬ色使いで展開。こうしたさまざまな要因が重なり、販売不振につながった。
しかし、当時九州の営業担当だった1人の社員の熱い説得により、「残っている包材分だけ」と、96年にエリア限定で販売を再開。細々と売り続けていたところ、大学生協で売れるようになり、徐々に売り上げが拡大していった。子供にとっては手を出しにくい30円のお菓子は、逆に大学生の間では「安くておいしい」と人気が出たのだ。さらに2008年、体操の内村航平選手が「お気に入りのお菓子」として紹介したことをきっかけに大ブレークを果たし、国民的チョコ菓子の地位に上り詰めた。
「売らなくていい」と社長が明言 ブラックサンダー本気の悪ふざけ