非構造環境と広い世界
特徴
標準がない
フィードバックがない
一貫性がない
解空間が広い
状況が変化する
フリンはシカゴ大学で学び、そこではクロスカントリー・チームのキャプテンを務めた。同大学で受けた教育を語る時、フリンは声を高める。「最高レベルの大学でさえも、批判的知性を育てていないし、学生の専門分野でしか、現代世界を分析するツールを与えていない。教育の幅が狭すぎる」。フリンが言わんとするのは、コンピューター・サイエンス専攻の学生も美術史のクラスを受けるべきだ、などということではない。誰もがさまざまな領域を行き来する、思考習慣が必要だということだ。
シカゴ大学は長年、領域横断的なクリティカル・シンキングに特化した必修科目を誇ってきた。大学によると、その2年間の科目は、「探求のためのツールを紹介するクラスで、そのツールは科学、数学、人文科学、社会科学など、どの分野でも活用できる。その最終的な目標は、単に知識を学ぶことではなく、根本的な疑問を提起し、この社会を形づくる考え方に親しむことである(注24)」。しかし、フリンによると、シカゴ大学でさえも、異なる領域への概念の適用に関して、十分に教えきれていないという。
大学教授たちは、長年にわたって狭い範囲で研究し続けて、そこで得たお気に入りのことがらを話すのに夢中になりすぎる、とフリンは言う。フリンはコーネル大学からカンタベリー大学まで50年間、教鞭を執ってきたが、自分自身もその同じ批判を免れないと話す。政治哲学の入門の講義では、プラトンやアリストテレス、ホッブス、マルクス、ニーチェなどについてのお気に入りの小話を披露したいという欲求に抵抗できなかった。
フリンは授業で幅広い概念を教えたものの、そのクラスならではの知識も山ほど提供したため、その概念が埋もれてしまったに違いないと思っている。彼はその悪いクセを克服しようとしてきた。アメリカの州立大学で実施した調査によってフリンが確信したのは、大学の学部は学生を狭い専門分野で育てようと急ぎ、一方で、すべての分野で活用できる思考ツールに磨きをかけさせていない、ということだ。
もし、学生に抽象的思考というこれまでとは異なる能力を活用させようとするのなら、こうした教育は変えなければならない、とフリンは主張する。学生には、「何を考えるべきか」を教える前に、「考える」ことを教えなければならない。学生たちは「科学のメガネ」をかけてはいるが、科学的な思考におけるスイス・アーミーナイフ[さまざまな機能を持ったナイフ]も持たせなければならない。
あちこちで、教授たちはこの挑戦を始めている。
ワシントン大学のあるクラスには「コーリング・ブルシット(それはウソだ)」というタイトルがついている(公式には、クラス名はINFO 198/BIOL 106B)。このクラスでは、分野横断的に世界を理解するための基本的な原則や、日々の大量の情報を批判的に評価することにフォーカスする。このクラスが初めて開講された2017年には、登録の最初の1分間で定員がいっぱいになった。
ジャネット・ウィングは、コロンビア大学教授でコンピューター・サイエンスを担当する。マイクロソフトリサーチの元コーポレート・バイスプレジデントでもある。ウィングは広範な「計算論的思考」を、思考のスイス・アーミーナイフとして推奨する。ウィングによると、この思考法はコンピューターやプログラミングに何ら関係のない人でも、読み書きと同じくらい基本的なものになるという。「計算論的思考では、複雑で大きな問題に取り組む時、その問題を抽象化し、分解し、問題を適切に象徴することがらを選び出す」とウィングは記す。
こうした試みが始まってはいるものの、学生たちはたいていの場合、経済学者のブライアン・カプランが言うところの「まず就くことがない仕事のための幅の狭い職業訓練」を受けることになる。アメリカの大学卒業者の4分の3は、専攻した学問とは無関係な仕事に就く。それは、数学や科学専攻の場合も同じだ。しかも、一つの分野にしか使えないツールにだけ熟達してから、卒業して就職していく。