社員全員面談
HAL研究所の社長だったときの面談は、半年に1回、社員全員と話していました。多いときには 80 人から 90 人ぐらい。時間はひとりあたり、すごく短い人で 20 分ぐらい、長い人で3時間ぐらいです。それを6年か7年ぐらい続けていました。
最初に社員全員と話をしたとき、「面談してはじめてわかったこと」がものすごく多かったんです。それまでもふつうにコミュニケーションできていたと思っていた人でも、一対一で面談するとはじめて語ってくれることがある。変な言い方になりますが、「人は逆さにして振らないと、こんなにもものを言えないのか」とあらためて思いました。
わたしなんかはわりと、相手に機会をつくってもらわなくても、機会を自分でつくって伝えればいい、と思っているほうです。自分のような人の集まりなら、面談は要らないでしょう。必要なことは必要なときに相手に言いますから。でも、みんながみんな、そうではありません
そして、わたしは「人は全員違う。そしてどんどん変わる」と思っています。もちろん、変わらない人もたくさんいます。でも、人が変わっていくんだということを理解しないリーダーの下では、わたしは働きたくないと思ったんです。
自分が変わったら、それをちゃんとわかってくれるボスの下で働きたい。だから、自分も社員のことをいつもわかっていたい。それが面談をはじめた動機です。たいへんだけど、自分の得るものも多いなとわかりました。
社員全員と面談するなかで、話し合うテーマは全員違います。ただ、面談のプログラムのなかで、唯一決まっているのが「あなたはいまハッピーですか?」という最初の質問でした。
わたしはもともと企業理念などというおこがましいことを語るつもりはありませんでした。ただ、「会社というのは、ある共通の目的を持って、みんながそれを分担して、力を合わせるための場所だから、共通の目的は決めたほうがいい」というふうに面談のなかで思うようになったんです。
それで、「商品づくりを通して、つくり手である我々と遊び手であるお客さんを、ともにハッピーにするのがHAL研の目的だと決めよう」と言ったんです。 そう宣言したんだから、「あなたはハッピーですか?」と訊くのは文脈に合っているんです。で、そうして訊くとですね……まぁ、いろいろなんです(笑い) 。
相手とのあいだに理解と共感がないなら、面談をやる意味はないとわたしは思います。ですから、相手が不満を抱えている場合、それはそれで聞くんです。でもわたしは、相手の言うことを聞くあいだに、自分の言いたいこともちゃんと言っているんです。
不満を持っている相手は、不満がたまっていればたまっているほど、まずその不満をこちらが聞かないと、こちらの言うことは耳に入らないですよね。なにかを言おうとしたのに、口をさえぎられて「それはこうだよ」と言われたら、「あぁ、この人はなんにもわかってくれない」と思って当たり前ですよね。
人が相手の言うことを受け入れてみようと思うかどうかの判断は、「相手が自分の得になるからそう言っているか」、「相手がこころからそれをいいと思ってそう言っているか」のどちらに感じられるかがすべてだとわたしは思うんですね。
ですから、「私心というものを、どれだけちゃんとなくせるのかが、マネジメントではすごく大事だ」と、わたしは思っているんです。
わたしには、社内の仲間に対しては利害の発想はないです。もちろんわたしがネゴシエーションをしたことがないわけでもないですし、ビジネス上、交渉を不要だという気はありません。でも、こと同じ会社で同じ目的を果たす仲間とのあいだで、それをする必要はないでしょう。
面談でひとりひとりの話を聞いていると、「この判断の背景にある、この理由が伝わっていないんだな」とか、「わたしがこう言ったことが曲解されて、こんな不満を持っているんだな」ということがわかってくる。それで、自分はどうしてこういうことを言ったのかとか、なにがあってこういうことを決めたのかということを、もちろんなにもかもしゃべれるとは限りませんが、その背景をできるだけ説明していくんです。
それは、けっきょくは「こういう材料がそろっていたら、君ならどう考える?」ということを訊いているのと同じことなんです。それで、相手が「ぼくでもそうしますね」ということになったら、安心じゃないですか。同じ価値観が共有できていることがわかると、お互いすごくしあわせになるんです。
相手が誤解したり、共感できなかったりするときには、いくつかの決まった要因があるとわたしは思うんです。そのいくつかの組み合わせで、人は反目しあったり、怒ったり、泣いたり、不幸になったりしている。そういうときは、だいたい複数の要因が絡まっていますから、ひとつずつほぐして原因をつぶしていけば、すっきりするわけです。
わたしが面談でどのくらい時間をかけているかというのは、つまり「相手がすっきりしたらやめている」ということなんです。その意味では、「できるまでやる」。それも決めたんです。
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