パソコン通信の歴史
1985年の通信自由化がキーになっている
アスキーネット - 1985年5月開局。1997年にサービス終了。
PC-VAN - 1986年4月開局。現BIGLOBE、現在はISP専業(パソコン通信は2001年終了)。
NIFTY-Serve - 1987年4月開局。現・@nifty、徐々に掲示板的サービスに移行(一部の旧会員が利用していたパソコン通信も2006年3月31日終了。日本で最後まで残った大手パソコン通信サービスであった)。
1987年4月15日に正式サービスが開始
ホストシステムはCompuServeのものを使用せず新規に開発した。機械は親会社の富士通が作るメインフレームではなく当初から(MC68000、後にはSPARCを使用した)汎用のUNIXマシンを複数台用いた。一般公衆回線からの接続手段として富士通が構築していたパケット交換網(VAN)サービスFENICSを利用した。
ニフティサーブとJUNET/WIDEの関係
1992年、WIDE インターネットとパソコン通信が相互接続
WIDEの合宿中だったか、村井氏が WIDE とパソコン通信を相互接続したいと言い出した。村井氏の要望は、当時 NIFTY-Serve でさまざまなデータベースサービスを束ねて、サービスをしていたので、それをいちいち電話をかけてつなぐのではなく、インターネットでリモートコンピュータで接続するのと同じように、自分のワークステーションから使いたいというものであった。まあ、だいたいこういうわがままからスタートするので、我々は慣れっこだったが、WIDEの共同研究企業の富士通、NEC、アスキー経由で、NIFTY-Serve, PC-VAN, ASCII-net の担当者が集められ検討することになった。私は当時NIFTY-Serveの SYSOPをしていることは知られていたので、WIDE側は私が担当することになった。
1992年当時、WIDEプロジェクトボードメンバーのお一人だった吉村伸氏が、当社に声をかけてくださったのがきっかけで、インターネットとの相互接続実験を始めることになりました。吉村氏とは、NIFTY-ServeにてUNIX OSの情報交換を行うコミュニティである「UNIXフォーラム(略称:FUNIX)」を運営いただいていたご縁がありました。吉村氏から、インターネットが今後間違いなくインフラへ成長するという確信と、その発展に向けて、日本ではすでに普及が進んだパソコン通信とインターネットの連携が不可欠であるとの強い意志を受け取り、その情熱に当社経営陣が感銘し、賛同したのです。
ニフティサーブと Linux
1992年7月21日 NIFTY-ServeでLinux-0.96c-PL1-TL0 αテスト版が公開
1992年7月25日 Nifty/FFMPRO に Linux porting Lab. 会議室が開設される
1992年10月13日 KON (Kanji ON console)が公開
1992年12月3日 Linux-MLが開始
1993年5月1日 JE (Japanese Extension) がLinux-MLでリリース
1993年5月 NIFTY-ServeのFUNIXフォーラムにLinux会議室が開設される
1993年8月4日 Linux JF (Japanese FAQ) Project結成
1993年8月25日 fj.os.linux ニュースグループ開始
1993年9月 Michael K. JohnsonのLinux INFO-SHEETの日本語版であるLinux情報メモが山崎康宏によって開始される
1993年9月16日 JFのメーリングリストが開始
1993年10月15日 META FAQ日本版(JMETA-FAQ)が開始
1993年11月下旬 LASER5が日本語 Linux + JEを発売開始
1994年2月 Laser5が日本語 Linux + JE(JE2)を発売開始
1994年9月 Laser5が日本語 Linux + JE(JE3)を発売開始
1994年12月21日 Linux FAQ 日本語版が公開される