自殺
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社会的自殺 (江戸時代)
切腹。身代り。
死刑のように強要もされる。自ら望みもする。状況がもたらすもの。
個人主義的自殺 (明治以降)
自己(自分)が見出され、そして善く生きようと思えば、自分の成功と失敗が決まり、自分の善と悪が決まり、生き方の高低が決まり、苦悩し、自動的に自殺の道も見出される。 連鎖する。死を誘惑する。死の理由を個人的に作り出す。
自殺は模倣される。オリジナリティを求める者もいる。 心中としての模倣。
社会の枠組みがゆるくなり自由の気風が生まれ、こうでない自分もありうるとが想像できるようになって個人主義・個人主義的自殺は生まれることが可能になった。
自由の頂点として輝く。どんな社会通念よりも自己の自由が選ばれた結果。
ただしその自由も、社会が求めはじめたものである。
平等の意識が生まれ、失敗はうまくできなかった自分の責任になった。
だが現実は思ったより平等ではないことを知る。かつては不平等はあたりまえのことだったが今はもう違う。劣等感になる。
遺書等が社会・マスコミの反応を気にかけた物になる。劇場型。社会性を持つ。
生きるは、人員をできるだけ生かそうとする社会によって作られる。
むなしい生の誕生。
自由の不安定から、死に絶対を見出し、死(命)を賭けることで、生の真剣さを得る。無規制・無統制的自殺。
奇しくも(なのか必然なのか)、命を賭ける戦争が受け皿になった。 「自死の国、日本」が生まれる。
死の願望(象徴)と実際の死
死の願望には、再生、転生、ここではないどこかへ行く望み、がある。 実際の死への壁を越えるために何かかが必要になる。
心中(恋人。模倣 (報道、ネット))
死を、他人のせいにする、他人に頼る。
あらゆる行動の意味・目的が、自分以外のものとの関わりによってなりたっているから。死もまたそのひとつ。
批判・批評は鏡。自己を見出すことだが、「あくまでも自分は許す」ことも含まれる。
自殺は社会が変化するときに増大する。
不況時も、好況時にも。
肉体的には変わっていないのに。
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自殺への考えは「自殺する前までの本人とまわりの人たち」と「自殺した後のまわりの人たち」のふたつ。
時代によって異なるが、宗教は自殺を否定する。哲学は自殺を自由と考える。
宗教にとって、命は神にあたえられたもの、死んだ後にもつづくものなので、命をないがしろにしていると考える。
宗教がまだそれほど強くない時代でも自殺は嫌われていた。
いっしょに埋葬しない。遺体を傷つける等、忌み嫌われた。
哲学は、宗教の支配に対抗するようになり、自殺の権利を主張するようになる。
そのため、自殺の否定は発展しなかった。
宗教への対抗以前でも、死は重くないと考えていた。