活動の動機 ②無職ーグラファーに出会うまで
経緯
在学中実現したいサービスの紹介資料までつくっていましたが、障害のためそんな裁量与えてくれる会社は見つからず…
――病気を患っているなかでも開発を進められた、その原動力というのはどこから湧いてきたのでしょうか?
そもそも、とても執念深い性格です(笑)。日本の支援制度の情報の在り方に対して「もっとより良くできるのではないか」とずっと思っていたので、「何としてもこの問題を解決してやる」という強い気持ちがありました。
ただ、大学在学中に重症筋無力症を発症して、通勤を含め、8時間以上座ってほぼ毎日作業をすることができなくなってしまったんです。就職するにしても通常の正規雇用を受けることが難しくて…。やりたいことはあっても、できることがかなり限られてしまいました。
そんな状況でもお悩みハンドブックをつくりたいと思っていましたが、自分が生きていくための生活費のあてがないので、まずはそこを解決するために障がい者向けの作業所に通っていたこともあります。
大学卒業後ー無職ー自殺未遂…
「いつの間にか社会のレールからはずれてしまった」。大企業に職を得た同級生と自分を引き比べ、さらに落ち込んだ。19年8月には自殺未遂にまで追い込まれた。
極限ともいえる状況下で思った。変わるべきは社会なのに、なぜ諦めて自分が死ぬのか。「それは負けのような気がした」。自殺願望はなかなか消えなかったが、やはり前を向かなければと少しずつ思い直した。
この頃、ギリギリの精神状態のまま色々行動してました。研究協力で毛髪や糞尿を換金したり、精神障害者の家族会や学会に突撃参加してサービス構想についてアドバイスをいただいたり、公衆衛生系の大学院をほぼ準備せず受験して当然落ちたり、東京都しごとセンターや難病専門のハローワークに相談に行ってA型作業所に行ったり…プライベートでも色々重なって絶望。
そんななか、たまたま参加した福祉関係のイベントで、私が現在勤めている株式会社グラファーの代表と出会いました。 そこで、市民や事業者が与えられた質問に答えていくだけで自分に必要な手続きがわかる「Graffer 手続きガイド」というサービスの存在を知り、ものすごいインスピレーションを受けて、その場で「『Graffer手続きガイド』の福祉版のようなサービスを作りたいんです!」と、直接代表に売り込みました。 おかげで、念願のサービス開発がスタートしました。 はじめは、省庁や自治体のホームページをしらみつぶしに一つずつ見ていって「この支援制度とこの支援制度って同じ目的だな」などをチェックしながら、改めて情報を整理していきました。このように、支援制度の整理や制度の解説記事の編集など、基礎の基礎から制作を進めていきましたね。
↑のイベントのレポート記事
申請主義の課題は、問題を抱える人が適切な行政サービスを受けるためのハードルが高すぎる点です。例えば、税金は申請しなくても徴収されますが、困っている人が行政サービスを受けるためには自分から申請をしなくてはなりません。申請を行うためには、適切な申請を見分け、何枚もの複雑な申請用紙に記入して提出する必要がありますが、生活に困っている人や、精神的に困っている人が申請するにはあまりに難しく、適切な人が最後までたどり着けないのです。
(中略)
生活面、障がいや日々の忙しさなどにより「必要な制度が分からない、情報にたどり着けない」という市民が一定数いることに関して、会場では熱心な議論が交わされました。また、福祉の世界では、現在苦しんでいる人が制度の利用者であるにも関わらず、非常に多くの書類を書かせること自体がギャップを広げることになるのではないかという話題もあがりました。
そして議論の中では、制度自体は変えられないのかという点にも話が及びました。それに対して石井からは「制度が変えられればベストではあるが時間を要してしまう。制度が変えられない場合にもプロセスを簡単にしていくことで問題の解決につながる。」という提案を行いました。
Ref.
https://scrapbox.io/files/649b9910c44a1e001c2a2e5b.png