チューリング完全なマシンが実在している事実が、現代の世のなかの話をややこしくしているのではないか?
BASICもチューリング完全である(これは嘘かも)。
チューリング完全ということは、「リソースを投入しさえすれば、あらゆることが実現可能である」ことを意味している。 正確に理解できていいるかな?
つまり、「あらゆることは起きうる」が「それが実際には起きないのはどういうときか」と考えなければならない。
たとえば、セキュリティにまつわる問題は、どんなひどいことであれ起きうる
でも実際に起きるのか? と言われたとき、それがどれくらいの確率なのかを考えたり、合意できないと話が進まない
「巨大隕石が落ちてきて人類が滅亡する」のは「起きうること」で「たしかにかつて起きた(と思われる)こと」だが、それがどれくらいの頻度で起きるのか、およそ正確に推定できる。
少なくとも、恐竜の話がいつ起きたかは、かなり妥当に測定できる
人間の性質上、地震や津波ぐらいの時間スケールは「ないもの」と理解しがち
だいたい50年(30年)が認知の境界線であるように思われる
ところがセキュリティにまつわる問題、あるいはコンピュータが関係することにまつわる問題は、いつごろ発生するのか時間スケールが読みづらい。
時間がたつにつれ、発生確率が向上していることは間違いない
ただし、それがどれくらい向上しているのか、理論的にも推定しがたいし、直感的にもとらえがたい
楽観的な予測はだいたい短すぎる(思ったほど早く発生しない)
悲観的な予測はだいたい長すぎる(思ったより早く発生する)
短期的な予測へのバイアスと、長期的(10年スケール)の予測へのバイアスの話もあったなあ
AIが世界を滅ぼす的な話も、この「発生確率を推定することの困難さ」が原因で、意見が分かれるのではないか
それが起きそうかどうか、話が噛み合わなかったり、「そんなんわかれへんわ」と放棄的な態度になりがちな気がする