ヒューム
一七一一年─一七七六年
デカルトが確実に「あり」だと言っていた「私(我)」の正体とは、実は「経験(私という継続した感覚を生み出している痛みなどの知覚体験)」にすぎないのだとヒュームは主張したのである。
自己=単なる「近くの束(統一性のない堆積物)」
心の中を知覚・反省・直感・内観してみると・・・
いろいろな感覚知覚・感情、医師・欲望などは知覚できる
しかし、それらの主体・実体は知覚できない
知覚できないものは存在しない
「心的活動の主体・実体」としてのデカルト的自己は存在しない!
自己は合理的でも経験的でもないが、我々が人間である以上、不可逸脱的に持たざるをえない「自然な信念」 この「自然な信念」が、われわれの生や共同体の基盤となっている
以下に非合理で、経験できないものであろうが、必要なもの
創造の産物は、全て過去の経験の組み合わせ
神も複合概念の一つである、と主張した
自我、神、科学全てに会議の目を向け否定した