進化論を援用しない
baku89.iconは10代の頃ドーキンスに傾倒していたのもあり、遺伝のしくみや進化論をたとえ話に持ち出すクセがあります。進化に人間社会における教訓を見出すしぐさの分の悪さは歴史が証明している通りなので、極力踏み抜かないように心掛けたいと考えています。
素人が進化論を援用するときの落とし穴はいくつか考えられます:
進化論への理解が根本的に間違っている、古い(用不用説) 自然の摂理が醸し出す正統さに、意識的か無意識的か訴える
適者生存の結果それ自体から「べき論」を引き出す
今現在「適している」とされる形質は、この環境下において暫定的に優位なものでしかなく、一定の妥当性はあっても、普遍的に適しているとはいえない
人間側に都合のいい事例のみをサンプリングする
メスライオンの母性に比べて、カッコウの托卵やチョウチンアンコウの矮雄に道徳的教訓を見出す人は少ない
論者がこのような点を回避した場合においても、その情報を受け取る側の理解が足りず、後年都合よく曲解された例にも枚挙に暇がありません。そこで、進化論に片足を突っ込みそうになった場合、以下の指針をとることとします。
自然観を排して数理モデルとして提示する(適応度地形、最適化問題) モデル上に現れた傾向の現実世界における例として自然や人間文化に言及することは構わないが、その例をモデルの正当化に用いない
参考文献
「素人が進化論を援用するときの落とし穴が効率的に学べるという点で良書」
出典の少なさ、「-という仮説に至った」の多さ
蔦や孔雀の羽に意匠のヒントを得るように、デザイナーとしての思考のアナロジーを進化に求めた、太刀川さん流の発想術、くらいのものとして書けばよかったのかもしれないと感じました