美的一貫性
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私が強く信じていることがある――美学の鍵は一貫性にある。3DCGアニメーションにおいては本質的に、世界のモデルを人工的に構築することになるが、私はこう主張したい――その作品世界が信じうるものとなるか否か、それは、どれだけの一貫性があるかということだけにかかっている。あらゆる要素が、それらを支配する一連の法則のうちに結びつけられているかどうか。この一貫性は、セリフ、デザイン、音、音楽、運動……作品のあらゆる領域へと広がっていく。それらの要素が一体となることで、「私たちが見ているものは本当なのだ」ということを確信させるフィードバック的なループが生み出されるのだ。人間の目はそういった美的調和を欲している。
3DCGアニメーション作家のDavid O'Reilly氏による『Basic Animation Aesthetics』にて言及されていた概念。原典では “Aesthetic Coherence” 。
平たく狭く要約すると、CGは高精細さを目指す必要も、写真や手描きアニメーションといった他の表現の再現的用法に留まらずとも、そのスタイルの内側に美的調和があれば、たとえローファイでも、見慣れなくとも、作品世界としてリアリティを持ち得るという論考。3DCG業界は全体的な傾向として、より高精細で、自然で、写実的な表現を志向すべしという暗黙の了解がありますが、そうした態度を相対化するための理論的基盤として、多くの個人アニメーション作家に影響を与えました。(国内だと大橋史さんやでんすけ28号さんが公言されています) baku89.iconの個人的な解釈ですが、アニメーション制作における公理主義とも捉えることができます。つまり、ルックや動きに対する少数のルール(=公理)から、演出や編集上の細かな定理を演繹的に定めていくという考え方です。
エッセイでも取り上げられていた『Please Say Something』を例に出すと、このような公理系を考えることができます。もちろん数学におけるそれほどの厳密さはありませんが。インデントが深くなるほど、より具体的かつ技術的なルールとなっていきます。
公理:瞬時にプレビューできる3DCGの用い方をする
補間を用いない
ピクセルの色をブレンドしない
アンチエイリアスを用いない
「ボケ」の代わりにレイヤーの重ね合わせを用いる
キーフレーム補間をしない
キャラクターの動きは2コマ打ちの停止補間とする
単純な幾何学造形を用いる
プリミティブの組み合わせで造形する
サブディヴィジョンを用いない
平面的なシェーディングを施す
GIをオフにする
テクスチャの代わりに頂点カラーのみを用いる
逆に言えば、実写のようなVFXや、Pixar以降のヌルヌル動くCGアニメーション作品、あるいは日本の漫画やアニメを参考にしたセルルックCGも、考えうる無数の美的公理系のうちの一つに過ぎないといえます。それをあまりに当たり前のように正解としてきたために、そして3DCGツールもそうしたスタイルを前提に設計されてきたゆえに、制約として意識もしてこなかった状態です。
3DCGにおけるDavid O'Reilly的な態度というのは、非ユークリッド幾何学の歴史に近いともいえます。つまり、私たちが当たり前のように学んできた幾何学の定理は、あくまでユークリッド幾何学における公理が成立すると仮定した上で導き出せるものに過ぎず、その仮定が一つすげ替えられると(平行線公準の否定)、全く違った幾何学体系が立ち上がるわけです。それが一見どれだけ日常的な感覚に反するものでも、その内側で矛盾なく閉じたものであれば一つの体系として成立し得ます。 David O'Reillyは、既存のツールの制約の中で「非ユークリッド幾何学」的なものを立ち上げるために、本来最終成果物として利用されることを想定してないデフォルトやプレビューを用いるという戦略をとりました。そこには、転用の美や批評性も感じられます。そこからはいくらか力んだ態度ではありますが、 Glispで目指したいのは、そうした美的一貫性を作品ごとに構築できるような柔軟性です。 関連項目
分析美学