必要条件と十分条件
何かについての説明をするとき
行為が理由の十分条件になっていないこと
理由が行為の必要条件になっていないこと
がたくさんある
Art Simulation by Computer
「コンピューターを用いた芸術シミュレーション」の探求は川野洋以外にとってもgenerative art全体のグランドチャレンジの一つだったわけで、川野洋を直接的に引用するための必要条件ではない。
川野洋 ∈ {芸術シミュレーションに取り組んでいたgen art界全体}
最近フランスでは、小説のジャンルとして一つ流行りがあるんです。「オートフィクション」っていうんですよね。それは、自分の人生、自分の体験をもとにフィクションを作ると。フィクションの中に、実際の体験の断片を好き勝手に入れる。一つの露出狂がそこにあるわけです。結局、本当がどうかは受け手の側が判断するものなのだけれども、作者は何の責任もとらない。結局、覗きの快楽があるという感じなんです。自分を晒したくてしょうがない。それが表現の十分条件にはまずならない気がするんです。
「自己露出があればそれが表現として成り立つ(十分である)」ではない
就職活動「世の中に貢献したかったからです」
世の中に貢献する仕事自体は数多あるなかで、なぜその特定の職を選んだのかに答えてない
世の中に貢献したいという動機は、その職を選んだことの十分条件ではない
類似: 「お客様の笑顔が見たかったからです」
退職エントリ「本当に自分がやりたいと思ったことを今すべきだと思ったからです」
むしろそれ以外で退職エントリを書くような動機がある?
同様に、なぜその仕事が「自分が本当にやりたいこと」だと実感するに至ったのかが説明されていない