『ノウアスフィアの開墾』
オープンソースにおける所有権とコントロールの習慣を、ジョン・ロックの土地保有に関する理論になぞらえて分析したエッセイ。
baku89.iconが、創作行為を「そのメディアが持つパラメーター空間という荒野から『良さ』の鉱脈を開墾する」というイメージを得るきっかけになったエッセイ。Eric Raymond著。 May 21, 2024
久々に読んで感じたのは、贈与や利他性、ボースティングへの嫌悪といった、一見ユートピア的で持続性のないような慣習が、いかに生産的かつ経済的で、ハッカー文化の知識ベースの成長を(少なくともクラッカー文化に比べて)速いものとしてきたか、プラグマティックな観点で書かれているということ。土地所有権理論や「開墾」のアナロジーは、こうした文化力学における検討に比べると、あくまでさっと触れる程度の重み付けでしかない。テキストの印象って自分の読みたいように都合よく改竄されるものですね。
ある文化の適応結果としての知識は、その意識的なイデオロギーと相反することも多い
エコに基づかないように思える諸習慣が、エゴに依存して機能するインセンティブ構造と絡み合って見えるという矛盾性。ハッカー自身が自らの世界の力学
人類が持つ組織化のほとんどの方法が、希少性と欲求に対する適応行動。
上意下達方式(command hierarchy): スケーラブルではない
好感経済: 希少性に対するスケーラブルで洗練された方式
過剰への適応
贈与文化: ハッカー文化の中で起きていること
これは、アカデミズムの多くの部分ととてもおもしろい対照ぶりを示している。アカデミズムでは、欠陥があると思われる他人の成果をボロクソにするのは、評判を勝ち取る重要な方法の一つだ。ハッカー文化では、こうした行動はいささか強力にタブー視されている――それが強力すぎるために、そういう行動が存在しないということを、ぼく自身が思いつかなかったほどだ。
「透明すぎて、それが『ない』ことに気づきもしない」表現として面白い。
できる限り自分の気持ちに正直に書くと、おそらく自分と同じ位のレベルで色んな知見を差し出す人はそう居ないと思っている。むしろ、そうであるほど、自分の「オープンソース」的行いが、そうでない「プロプライエタリ」的な大多数の振る舞いの中でアノマリーとして目立ち、それが自分自身の評判にもつながる。オープンソース/フリーカルチャー的な価値観と実践が広がればいいのに、とほざくわりに、心の奥底では「無理でしょ」と思っているという二重性。
一方で、自分にとって、作品の次に面白いコンテンツが「作品についての作者の語り」だったりするので、単純にそうしたBTSが増えたら良いなと本心から願っている。が、仮に自分の後に追従する人が居なかったとしても、それはそれでポトラッチ不戦勝状態に持ち込める。いずれにせよお得。
オープンソースの傾向
ESRはこう想像していいたが…。
70年代: おもちゃとデモ
80年代: 開発ツールとインターネットツール
90年代: OS(Linux)
2000-?: アプリケーション
技術オンチのためのプログラム
ただ実際、GIMPもInkspaceも、対応するAdobe製品ほどにはプロには使われていない
関連項目