Scene Referred Workflow
https://scrapbox.io/files/665be139f744c5001deef6b1.png
ディスプレイに送出するRGB値ではなく、光学的、あるいは最終メディアの物理的特性に根ざした自然な色空間でイメージを取り扱うこと。
つまるところ、デザインツールは須らくこれらの色空間を区別して処理できるべきじゃね?という提案
input color space: 素材の色空間
imtermediate (working) color space: 作業用色空間
display color space: ディスプレイ用色空間
delivery color space: 出力用色空間
perceptually uniform color space: 認知的に均一な色空間
最近、DaVinch ResolveとAfter Effects、Houdini間をHDRで映像をやり取りする機会があり、ACESワークフローを学んだ まだ上手く使いこなせていないけど
結局ディスプレイなんてのは高々10bitのclampedなRGB色空間でしか扱えないわけで、フィルムや印刷、テクスチャといった多用なフォーマットやメディアを扱う上で、ディスプレイのごく狭い色空間を主にグラフィックデザインをしたりコンポジットをすること自体が不自然なように思えてきた
其れまさにZ線印刷
中西 伶さんにも、グラフィックデザイナーというよりペインターとして似たような身体感覚を感じる というのはZbrushを通して得られる「拡張された色空間」というか、物性理解に根ざしてデザインというものを捉えているから...?
紙のグラフィックデザイナーにとってのdiffuse(拡散反射色)、オンスクリーン系デザイナーにとってのemission(蛍光色)といった色に限らず、彼には色んなチャンネルが視えているんじゃないか
roughness, specular, metalness, normal, heightmap...
もっと言えば、タブローといった平面表現において、描き手が相手にしている色空間ってのは究極BRDF(bidirectional reflectance distribution func.)ですよね 脱線: 関係無いけど、広告を通してデザイン的実践を社会実装すべし、という思い込みが、僕らやより新しい世代には薄れてきている感覚がある。広く告げてこそデザインだ。みたいな価値観
広告業界自体が斜陽だからってのがあるのかな
広告業界への憧れの薄さと、田中一光や杉浦康平、亀倉雄策のようなグラフィックデザイナーや、大貫卓也、山口はるみのようなアートディレクション文化へのリスペクトが両立している感覚
プロモーションよりも、コンテンツやプロダクトそのものを志向する時代の流れ
well-madeなものを作って、世の中に一過性の花火を打ち上げることの繰り返しへの諦念とニヒリズム
アドやプロダクトに関わることこそが本懐で、自主制作やコミッションワークはそうした活動への足掛けとしての営業活動、みたいな感覚が、ある世代以上には通底している気がする
に対して、より新しい世代には 無理にスケールしなくても良い、っていう感覚がある気がする。というか、成果物そのものが広告として機能するというよりも、それを作るプロセスやコンセプト自体そのものがパフォーマティヴなプロモーションとして機能していたら良い。みたいな
Dos MonosのCovidアクリル板とか
自分はそこにメチャクチャ賛成
コンセプト自体がコンテンツとして自立する感じって、そうした「実際にモノとして社会実装されんと、アイディアだけじゃどうにもならん」みたいな価値観が薄まった時代感覚も関係している気がする
ちょっと昔なら、どんだけアイディア一発勝負な作品でも、なんとか頑張ってクラファンなのか少数生産とかで「モノ」にしようとしていた(する方向を志向していた)気がする
モノにならなくたって、むしろプレゼンテーションとして面白ければ最高じゃん、みたいな
自分も「スケールしなくて良い、作ること自体がパヴォーマティブであっていい」派かも
メイキングの開陳
もはや自主制作しかポートフォリオに載せて ない
DoP上野さん始めとした一流の方々と仕事できた というおもひで位
あの展示がグラフィックデザイナーにとってのシミュレーショニズム的実践として最高だったのは、そういう連綿と続く「広告文化」へのリスペクトと、「広告業界」への冷めた視線の両方があってこそだったのかな
あそこでシミュ(パロ)ってるのはDNP自身と、広告というよりVI計画なのでまた違うか
ただとにかく、オーディオガイドの be innovative 連呼(記憶が不確か)といい、敬意に加えてある種の悪意が無いと出来ないなと思う
自分が憧れていた(いる)ボストーク界隈の「悪意の文化」とはまた違うノリ
デジタル上のデザインツールというのは、現状自発光するディスプレイをそのプレビュー装置として用いるが、作り手が扱うメディウムの色空間は得てしてずっと広い
オンスクリーン系ですら、sRGBモニターを使って、iPhoneのP3色空間のためのグラフィックをデザインしていたりするわけで
HDRも配信できるはずのNetflixコンテンツをRec. 709のマスモニで編集していたり
というか、僕含む映像やオンスクリーン系の人にとっては、自分たちが「板の蛍光のパターン」をデザインしているという事実自体透明化されている。ただ単に自分らは漠然とした「色」を扱っていると思い込んでいる
HouxoQueさん、ディスディスプレイ at Calm & Punk
物性に対応した「色」だけではなく、人間側のクオリアとしてのみ立ち現れる「色」も存在する
Rafael Rozendaalのレンチキュラー作品は、左右で違う色を観たときのチカチカを「色」として扱っているようにかんじた
Reddish green
左目で赤、右目で緑を観たときの重なりの色。黄色でも黄土色でもない、双方の色がビビッドなままに混ざり合っている色
プレビューのための色空間、中間フォーマットとしての色空間(Working Color Space)、出力メディアとしての色空間を須らく区別するべきですよ、という問題提起は現状VFX業界のみでなされているけど、印刷も、Webデザインも、元来全部そうすべきじゃね?
CMYKだってそう
写真素材はLinear RAW、それをCMYKに分版(Working color space)して、ディスプレイ上でプレビュー(Display color space)しながら、オンスクリーン用にはsRGBで、入稿フォーマットしてはCMYKで出力する
Hueを転がしたりといったカラーグレーディングはそこで行われるべき