アプリよりファイル
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「アプリよりファイル」っていうのは、ひとつの哲学だ。長く残るデジタルな創作物を作りたいなら、自分で管理できるファイルとして、かつ簡単に読めたり引き出せるフォーマットで保存するべきなんだ。そういう自由を与えてくれるツールを使おう。
「アプリよりファイル」は、ツール開発者への呼びかけでもある。すべてのソフトウェアはいずれ消える。その前提に立って、人々にデータの所有権を明け渡してくれ、という。
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時間が経つほど、どのアプリを使ったかよりも、そこでどんなファイルを作ったかのほうが大事になる。アプリは儚い。でも、ファイルには未来がある。
エジプトの古代神殿には、何千年も前に刻まれたヒエログリフが残ってる。そこで語られている内容は、どんな彫刻刀を使ったかよりも、ずっと重要だ。
世界は、これまでの世代から積み重ねてきたアイデアにあふれている。それは粘土板、写本、絵画、彫刻、タペストリーといったさまざまなメディアを通して、伝えられてきたものだ。そしてこれらの創作物は、どれも触ることができて、手に持ったり、所有、保管、保存したり、いつでも見返せる。紙に書かれたものを読むのに必要なのは、目玉だけだ。
日々、わたしたちは数え切れないほどのデジタル創作物を生み出しているけれど、その多くは自分の手の届かないところにある。サーバーやデーターベースの中、インターネット接続、そしてクラウドサービスのログイン認証の向こう側に。手元のハードドライブのなかにあるファイルですら、プロプライエタリなフォーマットのせいで、古いシステムや他のツールでは開けなかったりする。
2060年代や2160年代のコンピューターでも読ませたいなら、1960年代のコンピューターでも読めるようにしておくべきだ。
後世のためだけじゃなくて、未来の自分自身のために、ファイルは長持ちするようにしよう。10年後か20年後、ふと思い出して昔作ったものを見返したくなることが、きっとあるかもしれない。その時のために、読み返せないフォーマットでデータを閉じ込めないようにしよう。
最近は、わたしが関わっているObsidianというアプリでメモをとっているけれど、それが未来永劫続くなんて幻想だ。アプリはやがて終わる。でも、そこで作ったプレーンテキスト形式のファイルは、これからも残り続ける。自分以外の誰かが見返したいなんてことはないのかもしれないけれど、「未来の自分」さえ読めれば、それで十分なんだ。