負債化した生
public.icon
生きていくのには、相応の負債を背負うべきだという観念
ex: 「働かざる者食うべからず」
「夫が家事や子育てを手伝ってくれない」「おれの方が稼いでいる。仕事で大変なのに家に帰ってまでやいやい言われたくない」という不満のぶつけ合いも、考えてみれば、「夫婦であること、家族であることが、互いにとって負債になってしまっている」のが根本的な原因である。妻は、夫が「家事をしないこと」よりも、彼が「妻が家事をするのは当然のことだと思っている」ことに、より苛立っているのではないか。つまり、「自分が生きることが、いつのまにか負債化してしまっている」ことに苛立っている。妻に苛立つ夫にしても同じことである。
この言語化は微妙にひっかかってるggkkiwat.icon
ただ、歴史的記述を通して、負債の諸相を見ていった後の「負債とは約束の倒錯に過ぎない。それは数学と暴力によって腐敗(変貌)してしまった約束なのである」という一文は説得力を持つ。 助ける/助けられるの関係を開かれたものにすることで、負い目を感じることはなくなる。これは贈与と近い概念で乗り越えられる。 この負債と「関係の対称性」の関連を考えたいggkkiwat.icon