自由の価値の転倒
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大衆の反逆 オルテガで示されていることだが、『大衆/貴族』では自由の持つ価値が違う
貴族は、生まれながらにして課されている義務が存在するため、自由は”その人自身になるため”に使われる
ヨーロッパにおいて自由は、常に私たちが本来の自己になるための準備として理解されてきた。だから自分には真正な使命などないと知っている人間は、あわよくば自由なしですませたいと望むのもむべなるかな、である。(p26-27)
大衆の反逆 オルテガ
しかし大衆にとって自由は何も意味しない。ただ凡俗なままである。ここに価値の転倒がある。