自分固有な語りは、比喩が豊か
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そうした言葉は、できるだけ自分固有の体験に即した言葉であろうとして、「比喩が豊かになる」と言う。たいへん興味深い。例えば、性被害にあった女の人が自分の中にある解離的な感覚を表すのに、「自分の中に変な臓器があるような感じがする」などと表現する。母子支配の強い女の人が「母の眼差しが自分をCTスキャンしているような目だった」などと表現する。固有の体験は、つねに独自の比喩をもって語られる。男性は「貧困な経験を貧困に抽象化する」場合が多く、タチが悪い、と信田は指摘する。 ー自己啓発的なビジネスで生きてきたような人が、たまたま家族のなかで役割を果たさなきゃいけなというときに、「それは男性性の問題ですよね」「やっぱりリスク感覚が違っているんですね」みたいに話されると、困っちゃうんですよね。勘違いが多くて。P287 家族崩壊した後、その男性へのカウンセリングで、「二回目には『僕が悪かったんです』って言うんですよ。口ではね。『妻にも苦労かけました、ほんとに。』ってまるで反省してる自分を誇示しているみたいなんですね。二回目のカウンセリングで手渡されたのが、イラスト入りの歌集でした。(...)↓気持ち悪いでしょう?薄い本なんですけど、『いっぱい泣いていいんだよと言ってあげたい』とか。(…)そういう相田みつをみたいな短歌がいっぱい並んでて、ちょっと読み進めることができなかったんですが。」P290
被害者は自分に固有の体験を、豊かな比喩をもってなんとか語ろうとする。それを、加害者側の人間は、無暗に抽象化した一般的な言葉、あるいは、自分の感情を垂れ流しているだけの読むに堪えないポエムもどきで上書きしようとする。ここには、もちろん「政治的な闘争」が潜んでいる。