考古学
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知の考古学 ミシェル・フーコーでは「考古学」という言葉が使われています。いっけん神秘的ですが、フーコーが言っていることはシンプルです。たとえば昔の「狂気」と現在の「狂気」では指し示しているものがちがう。言葉そのものには実体がない。だから「狂気」について考えるためには、それが現在の意味を持つようになった知の環境(エピステーメー)、それ全体の誕生をあわせて考えなくてはいけない。このように、ある概念や言説を成立させる空間自体の歴史を記述することが「考古学」なのだと、フーコーは言います。 現代はこの考古学がない時代です。20年前の発言を現代の基準で問いただし、それが正義だといった単純な告発に溢れている。歴史がすべて「現在の基準」に回収されてしまういまの状況への疑いとして、フーコーの言う考古学の視点は不可欠です。
図書館の分類体系を無視してランダムに文献にアクセスし、「関係、枝脈、派生」といった連関のなかで言表を把握する しかし今、環境(ex: Googleブック検索)は無意識のうちに考古学者に仕立て上げる