社会的価値に矛盾する価値を射程に入れない倫理は虚しい
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たまたま「これがニーチェだ 永井均」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。 https://gyazo.com/87d00395a84a1f308ae3db36d87a1341
「何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は虚しい。この優先順位を逆転させることはできない。(「これがニーチェだ 永井均」p23)」 相互性の原理はそれを訴えたいような肝心の場面で土台から宙に浮いているのだということが重要
引用部分、そこで切ると「生を肯定できたら人は倫理的に生きられる」という社会的に収まりの良い思想に見えちゃうし実際そう解されて拡散されてるけど、(この本で語られる)ニーチェの目的地はそっちじゃなくて、そういう胡乱な基礎に立つ倫理なんて信用ならないよね、という道徳批判なので注意が必要 これを理解できない道徳実在論者とか認知主義者とかいう狂人の集まりがいて意味不明な反論してくるからレスバするのが倫理学らしい https://gyazo.com/8126f2b64a573ed2c0b83235fab6239b
社会の健全さ、いやそれどころか社会の存続それ自体と本質的に矛盾するような価値というものがある、と私は思っている。その視点を考慮に入れていない倫理はむなしい。
道徳は損得勘定や誠実性に由来しているものが多いが、ニーチェは誠実性由来の道徳的正しさを求めた 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを立てないのは、誇りによってではなく、奴隸根性と断念によってである
倫理(道徳)が目的としているものは倫理(道徳)の内部にはない。そしてその内部にはないものを欠いている人に倫理を訴えても意味がない