意識とは再帰的反応
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歌や踊りの言葉は、反射的に感染を引き起こす道具だった しかし文字は反応の再帰性(自分の反応に対する自分の反応に対する自分の……)を可能にした その再帰性の高次化によって「主体性」が生まれ、抽象的な思考が可能になる。 絵文字やスタンプを使った即時のやりとりは、「主体性」を抹消した「自動機械」を生む。個性はなく入れ替え可能だ。むしろコミュニケーションに遅れが生じると「意識」や「主体性」の働きを目ざとく見つけられて叩かれる。それを恐れるから「意識」を禁圧、「自動機械」に埋没したがる。その結果、昨今の若い世代は、文脈を分析して「他者に対して想像力を働かせる」ことができなくなった。 自意識というのも近くて、再帰性が写真やSNSによって、常に回り続けているというイメージ 考える、というのは脳の状態、あるいは意識というのは、脳の状態の一つなのだ。(p78) 養老孟司.icon 意識がそういうものだとすれば、その単純な生物学的意義とは、神経細胞の維持である。ゆえに、思考なり意識なり自我なり、そういうものが、ほとんどの場合、自慰的であってそれ以外のものではない。(p142) 養老孟司.icon 脳が脳内の情報だけをもとにして新しい情報を生み始めた時、意識が発生したということである。換言すれば、「脳が脳を知ることが意識だ」ということである。「考える主体などというものは、言語の形式上、ここに紛れ込んできたのであって、そんなものはもともと要らない。なぜなら、『考える』とは、自分の脳の状態だからである。」意識とは、脳が脳を知るという脳内の再帰ー階層化のことである。
スピノザ.iconは意識を「観念の観念」、つまり精神の中に現れる観念についての反省、と表現した