引き算
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もう少し考える必要がある
仮説を否定する結果が出れば、「その仮説は正しくない」という理論、発見ができ、一歩進む
それに対し、仮説を否定しない結果をいくら集めても、「仮説が正しい」とは言えない。なぜならば、1つでも仮説を否定する結果が出れば、全て水に流れるから
ミケランジェロ「ダビデでない部分を削り取ればいいのだ」
ノイズを減らして貴重なリソースを重要視する
fukkyy「経営は何をやらないかを決めること。事業って制約を置かないと本当に無限に探索できてしまうので、この事業においてはこれぐらいのリスクを取って、これぐらいの赤字幅、許容幅をおいて、この顧客のこういった課題をこういった範囲の中で解決するものをこれくらいの期限で、単なるPLの数値じゃなくてKPIの数値を達成するということを決める。逆にそれ以外のことにリソースはアサインしない。やらない。」 「規則は定義できないが、使える」というウィトゲンシュタインによる指摘の現代版である
複雑な世界における知性とは、無関係なものごとを無視することだ 研究で分かった知識というのは無数の試行錯誤の産物。だからタレブの言う「知識は足し算ではない。引き算だ」という言葉が非常に心に染みわたる。しかし、知識を足し算として捉えているのがこの世界の大半のような気がして自分は心配している。そういう世界は詐欺師の領分でもあるからだ。