古代人の意識は分裂病的で、近現代人の意識は神経症的
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上妻世海.icon ジュリアン・ジェインズは古代人の意識を分裂病的だと指摘するのと同時に、近現代人の意識を神経症的であるとも指摘していますよね。(…)神経症とは、三人称的な秩序のために、他者の他者性を排除する思考システムを前提としているわけです。秩序を維持するためには「正常」と「異常」の線引きがどこかに必要になる。そして、「正常」な振る舞いをすることが人々に強く要請される。(…)一方、ジェインズが分裂病的だとした狩猟採集民社会などにも秩序はあったでしょう。ただ、その秩序は、ある意味で不安や恐怖と共にあった。人々は不安を感じながら、他者との関わりを行っていた。ただ、だからこそ、そこには複数の知恵が存在していたんです。そういった知恵は先ほども言ったように多様に存在していて、いろんな神話や物語などにも記されています。辻さんがおっしゃったように、しかし、僕たちはそういう知恵が全く失われた状態で、もう一度、狩猟採集民のように森に戻れと言われている状態なわけです。 (p142-143) 分裂病的な統治が「一人称ー二人称」で、神経症的な統治が「一人称ー三人称」
上妻世海.icon 一人称-三人称ではどうしても権力への依存と希求が生まれてしまうと思うのです。そして、国家レベルでは三人称的に振舞われるので、日々死亡数を告げるニュース番組のように、人間は量や数字に還元されます。そこでは人は「あなた」ではなく、「彼」として扱われるわけです。(…)社会というのは個人として人間を扱うことはできない。僕は量でははなく個人として、つまり「あなた」と向き合っていくことを決めた瞬間、歴史から追放されたようなものです。しかし、それでもやれることはあると思っています。自分たち一人一人が、今こそ知恵を紡ぎ出すということをやっていかないといけない。それは歴史の外側のことなのかもしれず、歴史には記述はされないかもしれない。しかし、そうした動きが結果的にこの国の未来を作っていくんだと考えれば、できることをやっていこうと思うわけです。