保守主義は実体ではなく形式を保守する
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保守主義の要諦は、保守すべきものを、実体としての現状にではなく、合理にとっての尤もらしい前提に、もっといえばそうした前提を設定するに当たっての精神の適切なフォーム(形式)に、見出す点にある。(p16) 平衡点を合理によって確定することは不可能である。その擬似的・暫定的な選定にとって唯一有効なのは、現在とは異なった状況での異なった葛藤においてのものとはいえ、過去の「平衡点探索における試行錯誤」の経験を参照することだ。そこから、「歴史の実体」としての「慣習」ではなく、「歴史の(英知の)形式」としての「伝統」を保守せよ、という命題が生まれてくる。 実際には、伝統の保守は「直観」によって実現されることが多いであろう。だが、その直観を単なる思いつきに堕とさないためには、移りゆく状況のなかでの(自由と秩序といった互いに葛藤せるヴァーチューつまり”美徳”のあいだの)平衡点の探索にかかわる試練が要求される。あるいは平衡を失してそれらがヴァイス(悪徳)に落ち込んだことについての自省が、その直観に盛り込まれていなければならない。その盛り込み方をさして、一般に、「修行」と呼んでいるのではないか。(p54) 三島由紀夫.iconはこの考えを批判しているように見える
つまり全然形のない文化を信じるとすれば、目に見える文化は全部滅ぼしちゃったっていいんですよ、そんなものは。それからあなたの作品も、ぼくの作品も地上から消え失せて、京都のお寺から何からみんな要らないんですよ。そしてただ形のないものだけ守っていればいいんですよ。それは本土決戦の思想なんだよね、そこまで行っちゃえば。 つまり焦土戦術だね。軍が考えたことはそういうことだったと思うんだ。つまり国民の魂というものは目に見えないものでいいんだ。(…)日本は全部滅びても、日本は残るだろう、と。石原さんの考えというのは、最終的に目に見えないものを信ずることによって人間が闘えば、結局あらゆるものを譲り渡して闘わなければならない、 何かのアイデンティティー、目に見えるものというものを持っていなきゃ、形というものは成立しない。形が成立しなきゃ、文化というものは成立しない。 文化というのは形だからね。形というものが文化の本質で、その形にあらわれたものを、そしてそれが最終的なもので、これを守らなければもうだめだというもの、それだけを考えていればいいと思う。ほかのことは何も考える必要はないという考えなんだ。