メディアは身体を拡張する
public.icon
何か引き伸ばされて炎症を起こすようなイメージggkkiwat.icon
ex: トンカチは腕の拡張であり、望遠鏡は眼の拡張、メガホンは 声帯の拡張であり、車は足の拡張
身体が拡張されるとき、感覚の諸比率が変化する
テクニウムとは人間の拡張だ。マーシャル・マクルーハンらは、服は皮膚の、車輪は足の、カメラマ望遠鏡は目の拡張であると言う。われわれがテクノロジーを用いて作ったものは、われわれの遺伝子が作った身体を大きく外挿したものだ。このように、テクノロジーは身体の拡張だと考えることができる。工業時代には世界をこのように見ることは簡単だった。蒸気機関を使ったシャベル、蒸気機関車、テレビ、エンジニアの使うレバーやギアは、人間をスーパーマンに変えるすばらしい外骨格だった。しかしよく見てみると、この比喩にはおかしなところがある。動物の拡張された衣服は遺伝子から生じたものだ。彼らは自分を形成する設計図を前の世代から継承している。しかし人間はそうではない。われわれの殻を作る設計図は知性から発したもので、祖先が作ったり想像したりできないものも作ることができる。もしテクノロジーが人間の拡張であるなら、それは遺伝子ではなく知性の拡張なのだ。つまりテクノロジーはわれわれのアイデアが拡張した身体だ。 この状態をオブジェクト指向的に主客統合した観点で捉えると、自分の拡張として道具が帰属するのではなく、むしろ道具のインターフェースとして自分が接続されるのだと言えるでしょう。 技術は人間によって発明されたのではない。むしろその逆であるジャン=フランソワ・リオタール.icon
平沢進の鋭い指摘。「頻繁に遭遇する「もっと便利に、もっと自由に」という言葉が実は自己否定だということに気づけるかどうかが重要なんです。「このサービスは自分の生活を拡張してくれる」と安直に考えてしまったら、その時点で敗北しているのと同じです。」(『kotoba』No.45、P50) 「国家より強い権力を持ったIT企業が存在する世界を前提とした場合、どのような美辞麗句で装飾された技術やサービスでも、人間の拡張は最後に必ず人間否定に行き着きます。」(平沢進・述、『kotoba』No.45、P50)