ナチュラリズム/アニミズム
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石倉敏明.icon デスコラの定義によると、ナチュラリズムとは単一の自然資源を背景としつつ、諸民族の文化やアイデンティティーに多様性を認めようとする立場です。これは、近代の多文化主義の礎とされてきた思想であり、絵画を含めた近代芸術を作ってきた考え方でもあります。「我思う、故に我あり」というデカルト主義的な世界観、三木に倣って人物像を中心とする「油絵」の世界観と言ってもいいでしょう。(p326) 石倉敏明.icon これに対してアニミズムの考え方は、生死を越えたオブジェクトの海の中で多形態の存在が立ち上がってくるという「オブジェクト指向」の世界観であり、「墨絵的」です。アニミズムの思想では、文化や心が多元的なのではなく、外在的なもの、つまり肉体的な「かたちあるもの」が多様化します。墨汁が墨絵の画面全体の運動性を表していくように、アニミズムにおいてはすべてのものは一つの宇宙的な生命の運動に内在し、渦を巻いて動き続けていくわけです。(p326-327) 石倉敏明.icon アニミズムの存在論についてデスコラは『自然と文化を越えて(p.191)』の中でこのようなことを書いています。アニミズムとは「生命力・精力・繁殖力が、肉の捕獲・交換・消費によって、様々な有機体間を恒常的に駆け巡っているという」思想である。つまり、それは種の範疇を越えて食物連鎖の中で他の生物と関わり、捕獲し、交換し、食べることによって、その生命力がたえず肉体を超えて駆け巡っているとする生成論である。(p327)
常に動いているということを前提とした、運動や生成の論理 石倉敏明.icon これを踏まえてウイルスについて考えると、それはある種、ナチュラリズムの極限で現れた、それとは対照的なアニミズムの現実態のようなものとして理解し直すことができるのではないか、と思います。ウイルスとはまさに、身体の親密な接触や交感によって、様々な有機体間を駆け巡っている存在です。とりわけ、今回のパンデミックは、動き、生殖し、食べる存在であるという人間の動物的な側面によってウイルスが増幅され、移動やコミュニケーションに寄生するように拡張されていきました。都市という超有機体的な社会空間の中で増殖し、変異し、民族や文化、種を超えて生き続ける「前生物的」なもの。こうした媒体を、存在論的に捉えるのは非常に難しい。しかし、アニミズムの汎対象、汎生命力な思考法、つまり、魂が様々な有機体間を駆け巡っているという見方において生成論的に考えれば、ウイルスというハイブリッドな生成体をもっとリアルなものとして、適切に捉えることができるのではないか。こうした理解を進めていくためには、おそらく民族誌学において議論されてきた呪術的感染の論理や、「あるか/ないか」を軸とした存在の論理に代わる「成り変わる運動」として、生成論的に感染症の実態を吟味する必要がある。(p327-328)