テトラレンマ
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清水高志.icon (神話の機能に続いて言及…)そもそも、仏教のロジックも実際のところそんな風になっている。十二支縁起と呼ばれるものがそうですね。これは「無明があるから行がある、行があるから識がある・・」という風に、人間が煩悩と苦の世界を生きることになる仕組みを説いている。「これがあるから、あれがある」という風に煩悩が増大していくあり方がまず語られるのですが、これを順観といいます。そのあと「これがないから、あれがない」という風に、すべてが滅していくターンに入る。これを逆観(還滅門)と呼んでいる。こういうことが起こるのは情念の世界で、俗諦ともいうんだけど、この滅びの局面はたんなる禁欲というようなことではなくて、突き詰めると「Aがないから、非Aがない」という構造を現します。またこれが、順序の問題でもなく「Aがないから、非Aがない」、かつ「非Aがないから、Aがない」という関係構造の問題でもあるということを喝破したのがナーガルジュナです。するとそれは、対立二項のどちらにも原因を帰さないインド人特有のロジック、「Aでもなく非Aでもない」という、テトラレンマの構造に限りなく近づいていく。テトラレンマは、たとえば「不生不滅」(生まれないから滅ばない)というのがその典型なんですが、もっとも安定したあり方だとインド人が考えるもので、それが悟りの世界(真諦)でもあるんですね。(p196-197) テトラレンマは、 肯定(Aは Aである)と否定(Aは非Aでない)の段階を経て、両否定(Aでも非Aでもない)と両肯定(Aと非Aの両方を同時に認める)へと至る 「Aと非Aどちらでもない」という形で二項対立を調停する 第三項の位置を循環させて、ついには「どの二項対立の項にも還元されない」というあり方を見いだす「第四レンマ」 一番抽象的な関係構造としての「含むもの(外)/含まれるもの(内)」の二項対立を調停するために、それが感性的な世界に現れたあり方としての「一/多」という二項対立をまず採り上げ、アニミズムの自然を扱う本書ではそれを「主体/対象」という二項対立と組み合わせている。その組み合わせ方の変奏も織り込んだうえで、これら三種類の二項対立をすべて合流させると、さらに第三項としての位置をすべての項が採りつつ、原因がどの項にも還元されないという第四レンマの状態が脱-時間的に成立する。これが「即」であり、また「調停」です。それによって、感性的な情念の世界と、抽象的で恒久不変な世界が融和する。――人類が古くから、なかば無意識的に考えてきた「救済」というのは、大方そんなものだったのではないかと僕は思っています。