「今・ここ」の制約から逃れる
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(もう少し整理したい)
時間的な軸
位置的な軸
自分が「今・ここ」に生まれたことは単なる偶然である
多くの出来事はこれらの制約の内側で起こる
しかし自分の自由の及ぶ範囲を広げるとしたら、その外側へいくしかない
時間的な軸
位置的な軸
歴史ある学問は、環境に「いながらにしていない」ような思考を可能にする
制約を認識する
理論は「もし〜〜だったら・・・だ」という形で展開することができます。これによって将来、今とは異なる状況や課題が現れた場合にも役立たせることができるのです。この場合、言葉の役に立ち方は、「今ここ」から始める刺激のチェーンの延長線上にあるものではありません。むしろ「今ここ」(とその延長)とは異なる、もう一つの(必要なら複数の)レイヤーをつくること、それによって/を通じて「今ここ」から距離をとったり、あるいは異なる時点や人における「今ここ」同士を結びつけたりできることに依っているのだと思います。人によっては、言葉が表すものは、「現実」から遊離した絵空事のようなものだと言うかも知れません。しかし私はそうは思いません。私達の現実は、複数のレイヤーを織り込みながら、言表し語り話す事によっても、繰り返しつくられているのだと思います。 さて数学を言葉の一種と捉えると、史上最も成功した人工言語であると考えることができます。異なる自然言語を話す人達に共通の基盤を提供するだけでなく、自然言語ではうまく扱えない対象や問題を取り扱うのに役立ってきました。数学という人工言語は、自然言語とは違うレイヤーをつくることができます。私達は、このレイヤーによって/を通じて、「今ここ」から距離をとったり、あるいは異なる時点や人における「今ここ」同士を結びつけたりできます。