パリ万国博覧会 鹿島茂
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19世紀には46年の間に11年間隔で5回万博がフランスで開催されている
第一回パリ万国博覧会の特徴
1. 政府が産業振興のために主催する
2. 展示されるのは実用目的の商品であり、しかもその商品は販売されるのではなく、展示されるだけ
芸術作品と同じように、「見られる」ために展示されている
前近代社会では商品は絶対的必要を満たすために「買われる」ものであり、展示の必要はなかった
商品がところ狭しと展示されているので、回遊的に商品を見ることができる
これはフランス人の回遊的な行動パターンの選好と一致している鹿島茂.icon p29
3. アトラクションやスペクタルを伴う祝祭
4. ひとつの会場にすべての展示品を集めている
5. 出品者の資格のほとんどがフリーであり、私企業ないしt私人である
6. 単なる展示会ではなく、商品のコンクールである
金メダルの基準として⑴農林水産鉱物資源のサンプルが教育的観点から見て高度な有用性を有する場合⑵工業製品が芸術性・趣味・科学・労働がひとつに合わさって例外的な感性を見た場合⑶発明・発見が工業的に大きな実用化の可能性を持つ場合⑷
宗教的心情によって「富を最大に生産し、貧しい人たちに分配」することで、個人的な利益の追求に歯止めを加えて社会全体の厚生を実現する思想
資本家/労働者の区別はしておらず、個人的利益が一般的利益に一致すると考えていた。でもマルクス的な批判の通り、資本家は富む 他人の利益をも産業の目的とする博愛主義(宗教的心情)がもとめられる これをサン・シモンは「新キリスト教」という「神学として科学をもち、祭祀として産業をもつ宗教」を提示する
産業資本家が労働者のためを思い、労働者は産業資本家を敬って、互いに助け合う心を持つような宗教が必要だというのである。(p68)
産業構造の歯車を調整する高級テクノクラートが同時に聖職者であるような社会が理想
宗教的心情の義務を忘れがちな資本家と生産の拡大という義務を忘れがちな労働者の調停者として君主を想定する
したがって、サン=シモンの新キリスト教の唯一の目的は、資本家が労働者の利益に最大 の意を用いつつ、最大の生産を行い、自らを富ませると同時に労働者も富ませるように、資 本家の精神を啓発することであり、その目指すところは、純粋に経済的で世俗的な幸福なの である。(p41)
つまり、サン=シモン主義の主張は、持てる者の富を奪って持たざる者に分配するのではなく、持てる者と持たざる者とが自らのエゴを捨てて友愛によって結ばれ、一致協力しながら全体の富を拡大していくということであるから、効果が現れるまでの時間と、何よりも落ち着いた社会が必要だったのである。(p153)
サン・シモンの思想を体現した万国博覧会
⑴産業社会の構築⑵競争原理の確立⑶自由貿易の促進⑷国際的協調の確立⑸労使協調路線の確立⑹万有的理想の実現
百科全書的制度(〈万有〉の思想)によって科学的知識を集積させて、知のパラダイムを変える
ありとあらゆる商品が展示された
実際に商品は「見る」ものに変化した
商品──客の関係は、双数的関係から複数的関係へと変化した(視線の弁証法) 比較によって商品の客体化が発生し、欲望が生まれる。
「人間による人間の搾取から、機械による自然の活用へ」というスローガンのもとに、百科全書的に分類された
横は国別に、縦は性質別に整理されていたことで〈万国〉〈万有〉の理想を実現した
一方、商品もまた、展示されるというそのことによって、重大な本質的変化を蒙ることに なった。すなわち、展示されたその時点から商品は、役に立つ品物という本来の性質、すなわち使用価値のほかに、プラスアルファの価値を獲得することになるのである。このプ ラスアルファの価値とは、もちろん「弁証法」による欲望の投影で生まれてくるも のなのだが、それと同時に、いわば日常レベルとは切り離された、 祝祭的演劇的空間におかれることによって商品に付け加わる価値でもある。ベンヤミンの用語でいう「展示価値」 あるいは「交換」がこれに相当する。 要するに、商品は、それがどんな商品であれ、 「展示される」ことによりアウラを獲得するという原理がここで実証されたのである。(p186)
万博を主導した経済学者シュヴァリエ(M. Chevalier)、ル・プレー(P. G. F. Le Play)らは社会を科学的、実証的にとらえるサン・シモン主義者であり、万博を通じてフランス産業の国際的競争力の向上や自由貿易の促進を考えていた
その他
機械を動かすようにしていた
我々の万国博覧会においては、これとまったく異なった問題の立て方がなされた。すなわち、配置法のかなめは、何よりもまず、いかにして展示された機械そのものを利用する かにかかっていた。この目的に添って、まず出展者のボイラーが帝国委員会の定めた場所 に置かれ、その場所で帝国委員会の供給した燃料によって作動することになった。つい で、このボイラーによって生み出された蒸気が機械館に設置された主導管を通って、そこ から、各々の場所に展示されたピストン機械へと供給された。ピストン機械は出展者の指 示に基づいて運転され、動きを縦の中央主軸の継続的動作へと伝達する。 そして、最後に、機械館のすべての機械がこの動きを作業に利用する。こうすることによって、審査さ れるために博覧会にやってきた機械のメカニックな産物のすべてが正常なったおいて価値を評価されるのである。(...) この産業館は、見学者にとって、学習の対象であると同時に、賛嘆の種でもあった。(p122)
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万国博覧会というイベントは、確かに国家の主導による「公」の行事であるが、その目的 が、個人や私企業の発明・開発した優れた「商品」を一ヵ所に集めて展示し、生産者・流通業者・消費者それぞれに刺激を与えて、各々の利潤追求の欲望を加速することであるという 点では、これほど資本主義的な制度もほかにない。共産圏でオリンピックは開かれても万国博覧会はついに一度も開かれなかったのは、ある意味では当然すぎるほど当然のことなのである。(p127)
職業教育の側面を重視していたので、労働者にきてもらいたかった
恒久的開催して、都市にしたかった