「遊びを哲学する」第2部講義メモ
- 「遊びを哲学する」第1部講義メモ
02:03:53 第2部開始
02:04:32 「遊び」と「ガチ」の区別の曖昧さ
「真剣にやれよ! 仕事じゃないんだから」
「たけしの挑戦状」のエンドロール(栁田)
02:09:35 「遊び」概念が輪郭を失うとき
02:17:35 遊びは〈あわい〉に⽣じる
東畑開人『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』
ごっこ遊びが苦手(古田)
自分の子供に身を預けられないから、くつろげない
02:23:42 「不純な遊び」の探究へ
⼤⼈は、⼦どものように「純粋な遊び」を遊ぶことが少ない
遊び自体が混濁しているが、大人の遊びはさらに遊びとそれ以外が混濁される
冒険遊びの途中で公園の看板を見て「ヒントかな?」(古田)
02:28:21 ⼤⼈の「遊び」の難しさ――遊⾥をめぐって
⼤⼈の「恋愛ごっこ」の場としての遊⾥
前半の質疑応答との関連
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「あそび」という言葉自体が遊女を指していた
野暮と粋(九鬼周造)
⼼中⽴
→古田徹也『このゲームにはゴールがない ――ひとの心の哲学 』
02:35:01 ホイジンガによる「遊び」の定義 :再訪
遊里の世界に当てはまる
明文化されないルールについて
02:36:58 九⻤周造による「いき」の分析
九鬼周造『「いき」の構造 他二篇』
02:40:06 「恋しい」という感情の裏⾯にあるもの
宮野真生子さんの著書に詳しい(古田)
宮野真生子『なぜ、私たちは恋をして生きるのか―「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』
ゲンロン(の)さんのツイートより
02:41:26 ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論
⼈の⾔語的実践を、チェスのような規則に従ったゲームになぞらえて捉えることを提案した、のではない。
「言語ゲーム」という訳の問題?
英語でもlanguage game
02:45:15 家族的類似(Familienähnlichkeit)
02:49:38 Spiel の規則の曖昧さ、柔軟さ
02:54:38 Sprachspiel の演技性
02:58:18 表現と証拠の Spiel の習得=⼼の発達
証拠のSpiel
「ふりをする」ときのふるまいや反応(=証拠)を学んでいくこと
証拠というものをめぐるゲームを行っていく
内面が発達したからできるようになったのではなく、ふりをすることができるような発達を「内面の発達」と言う
ウィトゲンシュタイン=仮面をかぶった構造主義者
動物は言語ゲームはできるのか?(栁田)
犬には人間と同じ言語ゲームをする「関節」がない
→古田徹也『このゲームにはゴールがない ――ひとの心の哲学 』
03:09:33 演技と⾃然な態度との〈あわい〉 遊びと真⾯⽬との〈あわい〉
プロレスとしての Sprachspiel
03:13:08 プロレスの特徴(のいくつか)
プロレスは本質的に懐疑論的である(古田)
03:14:55 デイリーポータルZの記事「⽣まれて初めてちゃんとプロレスを観てみた」より
生まれて初めてちゃんとプロレスを観てみた :: デイリーポータルZ
大坪「プロレスってのはね、俺に⾔わせると『終わらない特撮』なんだよ」
⼤坪「そうじゃないかもしれない。答えは無いから、考えるしかない」
懐疑論的!
03:20:09 プロレスとしての Sprachspiel
プロレスは、我々の⽇常⽣活のアレゴリーである
03:23:08 我々はなぜ、ゴールのない Spiel をするのか
→古田徹也『このゲームにはゴールがない ――ひとの心の哲学 』
古田先生の倫理観について(栁田)
03:28:00 おわりに
『梁塵秘抄』
ねこと遊んでいると…(栁田)
03:31:30 質疑応答2
03:31:51 遊びと快楽の関係
「快楽」はなんでも拾えてしまう概念なので位置づけるのが難しい(古田)
ホイジンガの定義では楽しみが該当するか
03:35:06 Sprachspielにおいて、「ふりをする」ということがどう必要なのか
事実として、我々の生活には演技性が織り込まれている
半透明な他者なしに、我々は生きていけないのでは
「このゲームにはスタートもない」
03:40:46 Spielの演技性では、「他者がいる」ということをメタ的に認識していることになるのか?
演技性の背後に、長く培われてきた文化がある
03:45:41 「遊び」は日常から切り離されるもので、言語ゲームでは日常のなかで行われるという、別々のものと考えてよいのか
そうだが、前半の議論での遊びにも、日常生活との「あわい」があることを言いたい(古田)
03:50:00 人生において遊ぶこと、古田先生においての遊びとは
自分は遊べてないと思う(古田)
03:52:11 ウィトゲンシュタインと神の関係について
ウィトゲンシュタインは神について語ることを自身に禁じている
前期の「語り得ないもの」が後期にどう移行したのかは簡単ではない
神を必要としないような議論を展開している
04:00:40 「ブレイキングダウン」についてどう考えるか?
登壇者お二人とも未見
04:05:24 遊びの外部性と、AI、VRなど最新の状況はどう関わるか
最新の状況で遊びの外部性に大きな変化があったように思わない(古田)
もともと外部であり、それは言語というものの大きな特徴である
04:11:23 現在の社会において、遊びに正しさを求めて、本来の遊びのあいまいさを許さない部分があるのでは
目眩の遊びはどんどんやりにくくなっている
一方では安全でないと遊びはできないが、他方完全に安全なのは…
小さいこどもでないと純粋な遊びができなくなっている
自分が公務員で遊具の設置に関する仕事をしているため関心がある(質問者)
知育玩具がどんどん増えていることについて
遊びを遊びとして受け止めることがむずかしくなっているのかも(古田)
04:17:37 遊びにおける審判、観客はどう議論されているか(TMNCさん)
たとえばプロレスでいうと観客は重要だが、恋愛には観客がいらない
死ぬほど時間があれば…
04:19:52 古田先生が哲学に興味を持ったきっかけは(kuwakuwaさん)
高校倫理の教科書はあんまり好きじゃなかった(古田)
結論しか書けないので面白みがない
古田先生がなぜウィトゲンシュタインなのかは思想1月号で(栁田)
『思想 2023年1月号(no. 1185)』
04:22:28 最後に
まさかほんとに4時間半まるまるやるとは(古田)