「遊びを哲学する」第1部講義メモ
00:08:28 講義第1部 開始
00:11:05 凡例
00:13:05 遊びの多義性
ドラクエ3の職業「遊び人」(古田)
00:19:00 ホイジンガの「遊び」研究
ホイジンガ
比較言語学→古代インドの演劇研究→西洋歴史研究
多彩な経歴が遊び研究の土台を作っている
00:26:38 ホイジンガによる「遊び」の定義 ①
00:31:14 ホイジンガによる「遊び」の定義 ②
『花束のような恋をした』でのパズドラ(栁田)
00:38:36 ホイジンガによる「遊び」の定義 ③
遊びと祭りの類似性
遊びの反復性→古田徹也『このゲームにはゴールがない ――ひとの心の哲学 』とのつながり(栁田)
『賭博黙示録カイジ』ではゲームでいかさまをするが…(栁田)
カイジでは命がかかっているから…
会長は遊んでいるかも
00:49:20 ホイジンガによる「遊び」の定義 :まとめ
ギャンブルはどうなのか?→カイヨワの批判に
00:51:55 カイヨワによるホイジンガ批判 ①
ロジェ カイヨワ
ホイジンガより少しあとの人
「文人というのがふさわしい」(古田)
作家、文学者、社会学者、哲学者、ジャーナリスト
「遊びは本当に一つのものなのか。」(カイヨワ)
ホイジンガは遊びに本質を追求しようとしている
→ ウィトゲンシュタインの議論への伏線
00:53:33 カイヨワによるホイジンガ批判 ②
偶然の遊び
眩暈の遊び
01:01:30 カイヨワ「ホイジンガ、真面目か!」(古田)
真面目さゆえに、偶然や眩暈の遊びを位置づけられない
倫理学にもその側面が
ホイジンガの高尚さ(栁田)
古典を読む楽しさ
01:06:26 カイヨワによるホイジンガ批判 ③
ホイジンガは、遊びと聖なるものとを混同している
プラトン「法律」
プラトンは「神のように遊ぶべき」と言っている→今は遊べていない
規定の事実として遊びと聖事が同一だとは言っていない
日本語での「〜遊ばれる」(高貴な人々はつねに遊ぶように行う)
01:13:40 カイヨワによるホイジンガ批判 ④
日常生活は一種のジャングルである
01:24:33 「日常系」は日常じゃない(栁田)
「よつばと!」の世界は安全(古田)
本気になると遊びではない?
01:35:04 質疑応答1
01:35:20 遊びとの関係において、聖なるものと日常の区別はどうなるのか
01:38:35 恋愛と遊びの関係について
恋愛は危険(ジャングルとしての日常)なので、安全な「恋愛ごっこ」をする(古田)
01:42:33 ホイジンガの遊びの定義「秘密主義・別人化」と共同体の関係、遊びには他者が必要なのか
01:38:39 遊びと聖事の同一化について、ホイジンガの反論はありうるか
01:49:27 「子供がダンゴムシをいじっている」ようなことは遊びとしてどう位置づけられるのか
一人でダンゴムシをいじっていても、その背後に保護者がいる(古田)
- 「遊びを哲学する」第2部講義メモ