「哲学とは何か?」第2部講義メモ
01:58:34 第2部開始
01:58:50 ここから対話が始まる
哲学は言論のやりとりの中から生まれてきた
問が提起され、その問題に参加し、巻き込んでいくのが哲学
「宇宙の根源とは何か?」「あるとはどういうことか?」「どのように生きるべきか?」
私でもなくあなたでもなく、ロゴスに訊け(ヘラクレイトス)
我々人間が生きているのは思い込み(ドクサ)の世界に生きている
「私とは何者か?」
「私は自分自身を探求した」(ヘラクレイトス)
対話を通して自分が変わっていく
自己変容を哲学として言ったのがプラトンのイデア論
「私を遥かに超えたものがあるのではないか?」
神、イデア
単なる外部ではなく、超越というところがポイント?(栁田)
最初から2つある二元論は物語。「これ以外にある」という変化が大事(納富)
超越というのはプロセスであり、自分自身をを変えるということ(納富)
「いかに生きるか?」
ソクラテスの生き方を受け入れる人もいれば、受け入れない人もいる。その違いは?(栁田) その違いは一時的なもの。受け入れない人が最終的にだめなわけでもないし、わかったつもりの人もいる(納富)
カリクレス
キャラが立っている
「おまえみたいないい歳をして哲学をしてる奴を見るとぶん殴りたくなる」
カリクレスは「帰りたい」と言いながらも最後までいる。そういうがいいと思う(納富)
納得いかないまま帰ってずっと考え続けるようなやり方もある(納富)
世界哲学史のシリーズと連動しているわけではない。自分なりにまとめたもの(納富) 02:10:56 anai「いいシリーズだったので紙と電子両方買いました」 現在我々が哲学と読んでいるものは本当に哲学になっているのか
「世界」という単語は仏教からきていて、今自分たちがいる「いまここ」を離れててさまざまなことを考える意味で「世界哲学」
我々の哲学という概念は非常に西洋中心的
第1部の質問で書き言葉と話し言葉の問題も出たが、たとえばアフリカ哲学には書き物がない。しかし古代から知恵を語り継ぐ文化がある。そういうものも哲学としたい
我々が今まで持っているものと違う可能性、開放性
普遍性は捨てないでやりたい
02:13:54 ギリシア哲学の見直し
「ギリシア哲学は無敵ですよ。世界中で。プラトンやってますって言えば黙るからね」(納富)
これを元にして開いていけばいい
02:14:49 mincan「共通言語としてギリシア哲学を使う」 ギリシア哲学はいろいろな筋で影響を与えている
インドとギリシアの出会い:『ミリンダ王の問い』
インドとギリシアの関係なんで西洋では関心を持たれないが、日本にとってはすごく大切(納富)
イスラーム哲学
ロシア哲学
ギリシアはビザンツを通じて東ヨーロッパに行っている
西洋哲学に入っていない
ロシアはまだ知られているが、アルメニア、ジョージアの中でもプラトニズムが学ばれている
東アジア・中国哲学
東アジア哲学の一部としての日本哲学
中南米哲学
アフリカ哲学
02:18:39 shirouOT「アフリカ哲学って意識したことがなかったなぁ……」 プラトン万年筆とか(納富)
戦前の日本では軍国主義的にプラトンの哲人政治も読まれていた。ヨーロッパだとそれをポパーが全体主義だと批判したが、日本ではプラトン受容も戦前戦後で断絶がある。これは日本の戦争への態度と表裏一体なのでは(栁田)
ヨーロッパではナチズムがニーチェとかプラトンを使いながら正当化されたことを戦後反省した
第二次大戦後のイギリスではプラトンは禁書にすべきだという意見もあった
日本では鹿子木員信や上杉慎吉などが天皇主義とプラトンを結びつけた
それを戦後反省せず、あたかもプラトンは昔から無垢であったように扱った
それにはいくつかハプニングもあった。その一つに田中美知太郎が戦後瀕死の重傷を負ったことがあると思っている(納富)
空襲で重症を負って戦後回復すると、「プラトンを使って戦後復興しよう」というような能天気な主張に変わった。それにはフィジカルな問題もあったのでは(納富)
哲学は人の生き方や政治なども含め世界、宇宙、自然などすべてを対象にできる。一方で現代はSDGsや気候変動などを問題にするときにキラキラしたお題目にしてしまうように、個人の生き方と世界や自然とを切り離して議論している。ギリシア哲学のような人間観、自然観がいま必要ではないか(栁田)
自分は「ポリテイア」を国家と訳すのはためらっている。ポリテイアは「国のありかた」という意味で国政や市民権という訳語もある(納富)
魂のありかたを表す「魂のポリテイア」、世界のありかたを表す「天上のポリテイア」という言いかたがある。こういう思考法がどこまで可能か、ということに可能性があるのでは(納富)
02:26:27 質疑応答2
質問F:プラトンが以後に与えた一番のインパクトは何か? またもしプラトンがいなかったらどういう世の中になっていたと考えるか?
質問に出たプロタゴラスは著作はあまり残っていないが、逆に彼ほど影響力が残っている人もいない。なぜかと言うとあらゆる時代でアンチプラトンのヒーローだから(納富)
プラトンが批判したことを通じてプロタゴラスを理解している
そもそもソクラテスがいなかったらプラトンがいなかっただろう(納富)
ソクラテス、プラトンはギリシア哲学のキーパーソンだが、彼らがいないとギリシア哲学がなくなるというわけではなく、当時のムーブメントに形があった(納富)
決定的にテキストとして残っていったのがプラトン、アリストテレス、プロティノスで、この3人が読まれていった
プラトンがいなかったら、今ほど鮮明に哲学v.s.アンチ哲学という構図はつくられていないのではないか(納富)
日本や中国では詩歌と思想がきれいに分かれていないが、ギリシアではプラトンが文学と哲学を対立させている(納富)
やはりいちばん大きいのはイデア論。それが西洋哲学をつくった
「西洋哲学はプラトンの脚注にすぎない」
プラトンだけがすごいのでもなく、背景にはいろいろな哲学者がいる
ソクラテスが言っていることもほぼほぼヘラクレイトスと同じ
オリジナルかはともかくプラトンはそれを作って残した
関連して。哲学からは身体が抜け落ちている。世界哲学の話でも身体そのものについて扱うのか。また身体を除いた哲学をつくったのもプラトンではと思うが(質問者)
その通りなので、僕としては分が悪いんだけど…(納富)
プラトンが(身体を)切ったわけではなく、ソクラテスから始まっている(納富)
金銭、評判、名誉を肉体と言い換え、肉体に目を向け魂に目を向けないとは何事かと批判する
日本とか中国など違うかたちで身体を捉えている文化から見直すことはできるかもしれない(納富)
ソクラテスの場合、魂に向けてしゃべっているといいつつ、いまここに生きている人にしゃべっているというということなので、そこはうまく伝える必要がある(納富)
質問G:放送大学 西洋哲学の根源を何度も聞きながらこの日を待っていた。自分は1989年という歴史的な年に「国家」にふれ、以後ずっと読んできた。89年に世界は変わるかも思い、選挙権を持った93年にも国を変えられるかもと思っていた。しかし今は絶望を感じている。今どうやっていい形でプラトンを読んでいけるかをお聞きしたい。 自分のことも言うと、91〜96年はイギリスにいたのでその頃の日本の経験は抜けている。事件や災害が起き、経済的に落ちていく暗い日本を知らない(納富)
プラトンの時代もそんなにいい時代ではないので、絶望することもないかなと思う(納富)
日本はそれなりに安全と自由と平和がある。それを見損なってはいけない(納富)
哲学がマジョリティになっている時代はないので、基本的にいつも同じかなと思う。でもずっと言い続けている人がいて、ソクラテスみたいにそれでほんとに死ぬ人がいるというのが大きい
プラトンを読むと未来に希望を持つ。それが2000年間読まれてきた。それが言論の力だと思う(納富)
アメリカやヨーロッパだけじゃなくて、アフリカだろうが、パレスチナだろうが、ウクライナ、ロシアだろうが、いろんな人たちが同じ言葉できちんと議論したら、同じ人間で同じ時代に生きているんだから対話は成り立つはず。それが普遍性で、普遍性を確保するのは哲学。政治ではなく哲学の言葉で対話できたらという希望は持っているし、それはプラトンが示してくれた。というのが僕の答え(納富) 質問H:自分の興味は仏教。ギリシア哲学にキリスト教を含めないという話があったが、哲学から宗教は排除するという考えがあるのか。もう一つ、仏教を宗教として見るという視点自体が西洋的なものの見方なのではなかという疑問があるがどうか。
一神教的で経典があって組織があるという宗教はキリスト教とユダヤ教とイスラム教くらい。そういう西洋的な視点で信仰を宗教にあてはめるのは問題があり、それは世界哲学的に相対化すべきだと思う(納富)
哲学が非宗教だという話もそんなに簡単ではない。 デカルトの省察は神の存在証明。西洋哲学が神を問題にするという意味では哲学と宗教はほぼ一体(納富)
中国や日本の思想もここまでが宗教でここからが哲学とは言えない。西洋での議論とそこまで違うとは思わない
仏教は宗教と言えないどころじゃなくて、神がいない世界。
絶対者を想定するのが宗教だとすると、仏教は正反対だが、生き方について共通するところもある。並べて語ることは重要ではないかと思う(納富)
西洋哲学も仏教もそれぞれでは議論しているが、いっしょに議論することをもうちょっとやってもいいのではないか(納富)
そうすると最強かつ無敵のギリシア哲学者からすると…(質問者)
僕自身仏教徒。「プラトニストの仏教徒」ってなんだろうなと思う。そんなに違わないんじゃないか(納富)
日本の仏教研究者はレベルが高い。しかし専門外に禁欲的なので、せっかく日本で議論するならもっと一緒にできたらいい(納富)
質問I:ソクラテスが入れられた刑務所の跡から毒瓶が出てきた話があったが、これは一般的な刑罰だったのか?
毒を飲むというのは日本で言えば切腹。ギリシアの市民は人に殺されてはいけないので自分で飲む(納富)
パイドンの中で最初に自殺禁止論が出てくる。しかし神が命じている場合は例外。毒薬を飲むのは自殺にも思えるが、神につながっている法に従って市民がする行為としては自殺ではないということだと読んでいる(納富)
毒を飲むときにプラトンはいた?(質問者)
それも面白い質問。プラトンが裁判の場所にいたというのは「弁明」の中で2箇所証言されている(とプラトンが記録している)
死ぬ場面にいたかというのは、パイドンの最初に「プラトンは病気だったと思います」という非常に変な文章を書いている。いるなら登場人物として語らないといけなくなるのでいないことにしていて、まさかプラトンがソクラテスが死ぬときにそばにいないということはありえないというのが僕の信念(納富)
「プラトンは当時28歳で、ソクラテスに死んでほしくなかったし、寄り添ってたと思いますけどね。想像ですけど」(納富)
質問J:ヘラクレイトスのピタゴラス批判について。パイドロスの対話篇にあるエジプトの神テウトと文字の問題を想起した。自分はデリダやスティグレールのパルマコンをめぐる問題から知ったが、時代的にはプラトンよりヘラクレイトスのほうが先だとすると、文字と知恵をめぐる問題は当時ギリシアに似たような考えとしてあったものなのか? そうだとして、プラトンの議論にはどういう特性があるのか? ヘラクレイトスには他にも似たような断片がある。黄金を探し求めるものはいっぱい掘る、けれどもほとんど見つからないという断片も、知ろうとすると無駄に多く知ってしまい、結局なにもわからないという意味(納富)
パイドロスの議論とは似ているところ少し違うところがある。「知っていることとわかっていることは違う」という部分では共通している。違うところは、パイドロスでは書き物と話し言葉の対比を強調していて、それにテウトの話を結びつけているのがプラトンのオリジナル(納富)
ヘラクレイトスは史上初めてに近く、書く文字によって哲学をやろうとした人。話し言葉ではないコーディングが行われている。そこはプラトンと違うと思う(納富)
このころ同時代で書くことによる知が広がっていたということはあるだろう(納富)
質問K:納富先生と「まちがい」といえば「無知の知」ではなく「不知の自覚」であるというのがあるが、こちらについて。不知という言葉には知り得ないという意味もあるが。
「無知の知」というのは昭和の時代に作られたかなり日本独自の歪んだ理解だというのが自分の主張。「知らないことを知っている素晴らしい教師」だという解釈が日本では広まったが、「自分も他の人と同じく知らないが、知らないことを知っている点だけは知恵がある」というアイロニカルな言い方だと思っている(納富)
人間は神と比べて基本的には不知なんだというのがソクラテスの主張
質問L:古代ヨーロッパ人の基本思想が哲学の基本形と思っていいのか?
なぜギリシア哲学が特権的かというと、ギリシア自体がすごかったというより、のちの時代に自分たちがギリシアから来ているのだと言ってアイデンティティをつくってきたところがあるから(納富)
そのルートが一つだけじゃないんだというのが今世界哲学で言おうとしていること
質問M:今後ポリテイア新訳の予定は?
がんばって訳したいが、大きな著作であり、文献学的な考証が必要なところがいっぱいあり、さくっと訳せる本ではないので…(納富)
質問N:プラトンは元来レスラー、劇作家志望を挫折してソクラテス門下になったと聞いたが、そういった経験が著作や思想に反映されているか?
当時のギリシア人の若者はレスリングを含めた体育をするのが当然だったので、プラトンがレスラーになろうと思ってたとは自分は考えない(納富)
悲劇作家になりたかったプラトンがソクラテスに会って自作の戯曲を燃やしたという逸話が残っている。哲学を選び詩を批判したプラトンにはその経験が反映されているという話になる(納富)
「ただちょっと美しすぎるので、ちょっと無理かなという気もしますけど…」(納富)
質問O:以前納富先生からギリシア哲学の魅力は対話だと聞いた。SNSでの対話は不毛に見えるが、現在の対話の状況をどう見ているか。
ギリシア哲学の本ではない「納富信留『対話の技法』」で書いたが、厳密に考えるとプラトンやソクラテス的な対話を現代にすることはそんなに簡単ではない、というかほとんど無理(納富) 真の対話は、完全に対等な人同士ではないと成り立たない。はだかの魂とはだかの魂でしか成り立たない
ということは、やっぱり対話をするのは難しい?(栁田)
もともと対話は成功するとは限らない。カリクレスがソクラテスに対して「あんたの言うことは聞いてらんない!」とか言うのは失敗だとしてもいい対話だと思う。そこまでその人の魂に語らせるのはなかなかすごいこと(納富)
ソクラテスはカリクレスを物事を考えていると褒めているが、最後は「あなたの言っていることは絶対に認められない」と衝突する。それはいい対話だと思う
質問P:神権政治というのは人間の性分に合っている?
人間の立場だけでなく神みたいな次元を考慮しないといけないというのがソクラテスの立場。プロタゴラスは反対で、神を切って人間だけでやるという立場。アレクサンドロスのように自分が神だと言ってしまうようなのは哲学的にはまずい(納富)
質問Q:なぜそこまで哲学書を写本として残そうとしたのか?
プラトンやアリストテレスは全集が残っているが、多くの哲学者たちは途中で途絶えている。残っているのは氷山の一角。ものすごいエネルギー(納富)
手で写すのは本当に時間がかかって大変。 一人で全部写した人はいない。半分写すのに何年もかかる
ギリシアの哲学者への信奉もあるし、教科書的な意味もある
印刷技術が登場すると結構残る。近代で印刷されたもので残ってないものはない
質問R:多神教の場合だれがギリシア宗教を作ったのか?
昔から土俗的にローカルな神を信奉していたが、ギリシアではそれはアテネの12神として共有していた
03:23:06 sion「ゼウス、ユピテル、ディオニソス‥‥」 それを一つの作品としてまとめたのがホメロスとヘシオドス
質問S:古代ギリシア哲学の基本は話し言葉?
基本的にはギリシアの社会は全てしゃべって説得する。弁論が強い(納富)
だからこそ弁論術を教えるソフィストもいっぱいいたと(栁田)
質問T:納富先生は軍歌がお好きだと聞いたのですが
軍歌は好きなわけではないが世代的に知っている(納富)
ポリテイア第3巻で、どういう音楽を子供に教えるべきかという種別として、勇気を持たせる音楽の話が出てくる
日本は戦意高揚のために音楽や短歌を利用した
万葉集とか(戦意高揚に)強い。韻律の強さもある
文化はニュートラルではない。それをプラトンは知っていた(納富)
プラトンの詩人追放論もそういう面がありますね(栁田)
03:26:46 おわりに
最後に納富さんから一言(栁田)
ギリシア哲学は間違いを訂正している世界。いいやり方と悪いやり方があるが、西洋哲学はそういうものだと思う(納富)
批判というのは基本は自分に対して。自分に問いかけることがあるから哲学があるのかなと思う(納富)
過去の自分をは訂正できる(納富)
ありがとうございました(栁田)